戸沢道盛とは? わかりやすく解説

戸沢道盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/21 15:42 UTC 版)

 
戸沢道盛
戸沢道盛(戸沢家歴代肖像)
時代 戦国時代
生誕 大永4年(1524年[1]
死没 慶長9年7月15日1604年8月10日[2]
別名 通称:平九郎[1]
戒名 天叟蓮公大居士[3]
官位 飛騨守[1]
氏族 戸沢氏
父母 父:戸沢秀盛、母:楢岡長祐娘[1]
兄弟 芳(畠山久真の室)[3]道盛
本堂親条娘
盛重、甚盛、盛安光盛[1]、盛吉
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戸沢 道盛(とざわ みちもり)は、出羽国戦国大名。通称は平九郎。官位飛騨守戸沢氏16代当主[1]

略歴

父・戸沢秀盛の死により、享禄2年(1529年)に6歳で家督を相続する[1]。ところが、後見役の叔父・戸沢忠盛(兄である秀盛から後継者に指名されたが、秀盛の晩年に道盛が生まれたために約束を反故にされた)が反乱を起こし、道盛は母と共に角館城を追放された。しかし、重臣達は道盛を支持して逆に忠盛を追放したため、角館城に復帰した。

その後、若いうちに隠居し、移封地の常陸国にて79歳まで戸沢氏四代にわたって後見した、という説と、隠居した頃に病死している、という説がある[注釈 1]

系譜

  • 父:戸沢秀盛
  • 母:楢岡(小笠原)左馬介長祐娘
  • 室:本堂親条娘
    • 嫡男:戸沢盛重(1551-1592)
    • 長女:花渓永春大禅定尼[3]
    • 次男:戸沢甚盛(?-1624) - 自ら出家して小沼山源東寺の住職となる[3]
    • 三男:戸沢盛安(1566-1590)
    • 四男:戸沢光盛(1576/77-1592)
    • 五男:戸沢盛吉 - 左兵衛尉

脚注

注釈

  1. ^ 『戦国人名事典』では慶長9年(1604年)7月、孫の政盛の移封先である常陸小河城で死去とある[1]。また、『最上郡史料叢書』「戸沢年譜」では天正6年(1578年)8月12日に53歳で死去したとする異説も掲載されている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 阿部 & 西村 1990, p. 544.
  2. ^ 嶺金太郎 編「戸沢年譜」『最上郡史料叢書』葛麓社、1925年、9頁。 
  3. ^ a b c d 西木村郷土史編纂会 1980, p. 38.

参考文献





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