平姓鎌倉氏流伊木氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 02:03 UTC 版)
織田信長、池田恒興、輝政親子に仕えて、その重臣として活動した伊木忠次は、尾張国生まれで初名を香川長兵衛忠次と称し、平姓鎌倉氏の末裔であると称していた。永禄4年(1561年)に犬山城の対岸にある伊木山に拠った斎藤勢を攻めた際に著しい武功を挙げた。この功により織田信長より「伊木」の名字を賜り、名字を改めた。 池田氏は後に備前国岡山に移封されるが、伊木家もそれに従って33000石の知行を得て岡山藩筆頭家老となり、所領に虫明陣屋(岡山県瀬戸内市)を築いて、幕末まで続き、明治維新後には男爵に叙された。
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