師匠との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:26 UTC 版)
師匠である圓生とさん生は決して相性が悪かったわけでは無い。さん生は圓生の理想とする咄家像とは異なり、新作落語のみの落語家だっただけである。 川柳の著作によれば、圓生はジャズと義太夫を織り交ぜた、さん生のネタ「ジャズ息子」を聴き、さん生に義太夫について色々と教え、ジャズにも強い関心はなかったものの、理解してくれたとある。 さん生を新作落語へ転向させる原因となった東宝落語勉強会は、評論家の飯島友治が半ば無理強いで圓生に願い出た企画で、落語協会・落語芸術協会、双方から選ばれた二ツ目の落語を真打や素人の客にまで評価させるというものだった。メンバーの数人が企画者と意見が対立し除名された際、圓生一門からも誰かを除名させないと折り合いが悪い状態となってしまい、好生は自殺しかねない繊細さを考慮され矛先がさん生へ向いたと、この経緯は圓生の妻である山崎はなが本人に伝えている。 圓生がさん生の真打昇進に反対した件については「古典落語ができないにも関わらず人気ばかりを考えている二つ目を真打にさせては落語家の恥だ」と圓生が考えてのことであり、この思想から林家こん平の真打昇進を快く思っていなかったこともさん生本人に真打昇進をさせない理由と共に伝えている。 「落語三遊協会」設立の際も当初はついてゆくつもりであり、圓生からも「客受けの戦力」だからと評価を受けている。最終的に残留となったのには、直後のさん生自身の酒の失敗(酔った勢いで3代目古今亭志ん朝に計画を聴かされていなかったと愚痴をこぼし、それを聞いた志ん朝から圓生の元に「師弟一丸となってもらわないと困る」と苦情が入った。この一件を圓生から聞かされた圓楽は激怒し、さん生に電話をよこした)、弟弟子圓丈の忠告、好生の同意などが影響している。 この師弟間の決別を決定的なものにしたのは、さん生の酒による失敗が他の一門など外部におよんだことが圓生の耳に入ったことと、協会との対立が続いた圓生に精神的な余裕がなくなってしまったことが要因である。 2006年の大銀座落語祭で行われた落語会『六代目圓生トリビュート』には、兄弟弟子に混じり川柳も出演している。
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