市内パレード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:11 UTC 版)
「ケネディ大統領暗殺事件」の記事における「市内パレード」の解説
ラブフィールド空港からのパレードには合計12台 の車が参加して、車列の先頭が先導する白バイで次にシークレット・サービスだけが乗った車で、その次が大統領夫妻が乗ったリンカーン・コンチネンタル、その後ろに再びシークレット・サービスが乗った車、そしてその次にジョンソン副大統領とレディバード夫人が乗った車を中心にパレードの車列は11時50分にラブフィールド空港を出発し、ダラス市内を時速16キロメートル(時速10マイル)前後のスピードを保ったまま、ダラス・トレードセンターに向かってゆっくりと進んだ。 ダラスの至る所、ルートに沿ってケネディに批判的ないくつかの団体がプラカードを掲示しビラを配布した。手製の抗議サインは車列の見物人達によって高く掲げられた。しかし車列は、ケネディが数人の修道女および数人の児童と握手するために2度止まる以外はほとんど何事もなくその全ルートを通過した。大通りに入ったリムジンの前に1人の男性が走り寄ったが、シークレット・サービスによって地面へ押し倒され車列から遠ざけられた。しかし全体としては歓迎ムードで、後にコナリー知事は「心からの温かさ、理解、敬意を示す大変な数の市民が繰り出していた。大統領もジャクリーン夫人も心から喜んでいる様子であった。」と語っている。ネリー夫人は大統領の方を振り返り「これでもうダラスがあなたを歓迎していないって、おっしゃらないでしょうね」と言うと大統領は「もちろん。考えていませんとも」と答えている。 これがジョン・F・ケネディの生涯最後の言葉となった。 12時30分にケネディのリムジンはメイン通りからディーリー・プラザに入って右折し、ヒューストン通りをテキサス教科書倉庫ビルの正面にゆっくり進んだ。そして次にリムジンはゆっくりと左折して、エルム通りに入り、教科書倉庫ビルからわずか20メートル離れた位置に達した。
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