岩本絹子とは? わかりやすく解説

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岩本絹子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 15:47 UTC 版)

岩本 絹子(いわもと きぬこ、1946年昭和21年)ないし1947年(昭和22年)[1] - )は、日本医学者医学博士)、産婦人科医[2]学校法人東京女子医科大学理事長を務めた[3]

経歴

佐賀県唐津市出身[4]1973年東京女子医科大学を卒業し[5]産婦人科に入局[2]1977年に東京女子医科大学大学院を修了し[2]、学位論文『母児感染における新生児大腸菌感染症の発現機序に関する細菌学的研究』により医学博士を取得した[6]

1979年に葛西中央病院産婦人科部長となった後、1981年に葛西産婦人科を開業して院長となり、2024年3月までその任にあった[2]

東京女子医科大学の同窓会組織である「至誠会」の活動に関わり、1992年に社団法人至誠会理事、2004年に副会長を経て、2013年に一般社団法人至誠会会長に就任した[5]

この間、2001年学校法人東京女子医科大学評議員、2008年に理事となった[5]2014年12月には、副理事長となって、財務担当理事、経営統括理事、法務担当理事、施設将来計画諮問委員長を兼務し、さらに2019年には理事長となって、プロポフォール事件などで揺らいでいた経営の立て直しに取り組んだとされた[3][5]。しかし、2024年に不正に関する調査を行なった第三者委員会は、無理なコスト削減による表面上の黒字化だったと指摘。経営再建と称するものが、結果として東京女子医大の看板だった「質の高い高度な医療」を瓦解させていた[7]。さらに、この調査によって、岩本は2014年の副理事長に就任した直後から、資金の不正流用を始めていたことも判明している。岩本は至誠会会長と学校法人東京女子医科大学の理事長を兼ねて、強権的に大学を支配。恣意的な懲戒処分を乱発するなど、ガバナンスに重大な問題があったが、岩本に特別な恩恵を受けた一部の理事や教授らに守られて、強固な権力基盤を築いた。

2022年2月、東洋経済オンラインでジャーナリストの岩澤倫彦が、東京女子医大の小児集中治療室(PICU)が解体されたことをスクープした[8]。小児集中治療室(PICU)は、プロポフォール事件の再発防止策として、遺族に設置を約束して、2023年7月に運用が開始されていたが、岩本らが採算性が上がらないことを理由に、海外から招聘した3人の専門医の報酬を一方的に破棄。リーダーの特任教授には、当初2年間だった任期を1年間で打ち切ると通告していた。2月2日に当時の田邉一成病院長が関係者を集めて、一連の事情を説明したことからPICUの実質的な解体が判明。翌3日に東洋経済オンラインがスクープしたという。岩本は東洋経済の記事について、部下に法的措置を取るように指示していたが、弁護士の反対によって実現しなかった。

同年4月、再び岩澤倫彦が週刊文春4月28日号で、岩本の不正資金に関する疑惑をスクープ。この時に報道された「疑惑のカネ」は主に3つ。至誠会から架空の職員出向による「約2.5億円」、岩本が長年応援してきた元宝塚歌劇団・月組のトップスター親族会社に業務委託で「約1億円」、一級建築士に対する架空の建築アドバイザー料「約2.5億円」。岩澤は、週刊文春の取材中に、無言電話や何者かによって事務所の鍵が壊されるなどの被害を受けたと、SNSで公表している。この被害は警察が捜査したが、指紋は検出されなかった。

岩本が直轄する内部監査室は、「疑惑のカネ」の内部告発者2名(事務職員)を、デジタル・フォレンジックなどの手法を使って特定、懲戒解雇処分にした[9]。また、東京女子医大は、「疑惑のカネ」報道に関して、「外部の弁護士を入れて検証した結果、違法性はない」という見解を公表。しかし、後に実施された「第三者委員会」の調査(2024年4月〜7月)に対して当時の担当弁護士は、「必要な協力を得られなかった。違法性はないという報告はしていない」と証言している[7]

同年7月、文春オンライン「東京女子医大の闇」の調査報道がスタート[10]。担当は、今度もジャーナリストの岩澤倫彦。背任容疑について証拠資料が提示するなど、女子医大及び岩本と全面対決の様相を呈していた。連載は30回以上に及ぶ。後に2025年4月に行われた報道事務家フォーラムの講演で、岩澤は当時を振り返り、「懲戒解雇された職員のためにも、徹底的に追及していくことを、文藝春秋の編集部や法務部と合意していた」と明かした。また、同じく7月には、東京国税局資料調査課が、東京女子医大の調査を実施するなど、一連の報道を契機に岩本に対する包囲網が張られていく[11]

同年9月、東京女子医大の卒業生有志で結成された「女子医大を復活させるOGの会」の主要メンバーが、「告発状」を警視庁に提出[12]。この告発状では、週刊文春で報道された3つの「疑惑のカネ」が、背任罪にあたると指摘している。告発者の一人は「岩本が不正に資金を流用している容疑を週刊文春の報道で初めて知った」、と周囲に述べた。

2023年3月、警視庁は女子医大を復活させるOGの会による「告発状」を正式に受理する[13]

同年6月、至誠会の臨時社員総会は、岩本の会長解任を決議した。告発状が正式に受理されたことが、解任に大きく影響したと言われている。この動きを受けて、岩本は東京女子医大と至誠会との関係を解消し、新たな同窓会組織を立ち上げて対抗した。この状況でも、同大産婦人科医局のOGたちは岩本を支持していた。

2024年3月、告発状を受理して内定捜査を続けていた警視庁捜査二課が、背任の疑いで大学本部や岩本の自宅などを一斉捜索した。この時の捜査令状は、告発状にはなかった、岩本の側近2人に関する不正な報酬の支払いに関する容疑であった[14]

同年4月、文部科学省の強い指導を受けて、岩本の背任容疑などの報道に関して調査を行う「第三者委員会」が設置される。元最高検察庁次長検事の山上秀明弁護士が委員長、フジテレビの第三者委員会の委員長を務めた竹内朗弁護士が副委員長。

同年8月2日、第三者委員会は東京女子医大で記者会見を開いて、調査結果を公表した[7]。まず、岩本に関する「疑惑のカネ」報道の真実相当性を認定。東京女子医大から不正に流出した資金が、「岩本に還流された可能性がある」と踏み込んだ。また、推薦入試や教授選などで、至誠会への寄付金の有無が反映されていたことも判明。その上で、第三者委員会は、岩本の「一強体制」によって東京女子医大は不健全な経営であると厳しく批判、事実上の経営者失格を通告した[15]。同時に、側近である理事たちの責任にも言及している。

この3日後、東京女子医大の教職員を集めて、第三者委員会の調査結果についての説明会が実施された。岩本は教職員に一応の謝罪を述べたが、理事長の辞職は否定。調査結果について、新たな検証を行う方針を示した。これに対して理事たちは反旗を翻し、「第三者委員会の調査結果を受け入れて、新たな検証は行わない」と主張した。同時に理事全員が辞職する意向も示したが、岩本体制の維持は無理と判断したと見られる[16]。ただし、岩本に加担して女子医大を瓦解させた理事たちの責任が、単なる辞職だけで済まされたことに疑問を抱く教職員は多い。

同年8月7日、臨時理事会で、岩本は理事長を解任され、東京女子医大の立ち入りを禁じられた。この措置は、過去に岩本によって懲戒解雇された教職員と同じ対応である。

2025年1月13日、岩本は警視庁から背任容疑で逮捕された[17]。告発状に記されていた「一級建築士に対する架空のアドバイザー料」のうち、約1億1700万円相当が東京女子医大に損害を与えたことが背任容疑にあたると、捜査関係者は明かしている。同年2月3日、附属病院「旧東医療センター」の移転に伴う新病棟建設工事でも、アドバイザー名目で計約1億7000万円を不正に支出したとして、背任容疑で再逮捕された。[18]同月21日、東京地検から背任罪で起訴された[19]

2025年1月現在、日本産婦人科学会産婦人科専門医、母体保護法指定医師麻酔科標榜医とされている[2]

交友関係

大学関係者によると、政治家とのパイプ構築に積極的で、理事長就任記念パーティーには自民党の二階俊博元幹事長や加藤勝信財務相らを招いた[20]

家族・親族

東京女子医科大学の創立者である吉岡彌生の親族であり、彌生の義弟・吉岡松造(吉岡医院長)の孫にあたる[4][21]。なお母・岩本薫(旧姓:吉岡)も同大学出身の開業医であった[5][21][22]

吉岡家・岩本家

代々医師の家系[23]。本籍地は佐賀県東松浦郡入野村大字高串(現:唐津市肥前町[23]

親戚

  • 義大伯母・吉岡彌生1871年(明治4年)4月29日生)
    漢方医である鷲山養齋の次女[28]。東京女子医科大学創立者[28]。15歳の時に吉岡荒太と結婚[28]済生学舎(現:日本医科大学)で医学を学ぶ[28]1900年(明治33年)最初の女医養成機関として東京女医学校(現:東京女子医科大学)を創設、1912年(大正元年)には専門学校に昇格、多くの女子医学者を育成した[28]。長男は東京女子医科大学理事長(3代目)の吉岡博人[29]。孫は同大学理事長(4代目)の吉岡博光[29]
  • 大伯父・吉岡荒太1868年(明治元年)12月8日生)
    曽祖父・吉岡玄雄の長男[28]。田野小学校、福岡県立福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)を経て東京・独乙語学校、第一高等学校に学ぶ[28]。東京至誠学院を興してドイツ語を教授、医学の発展に尽くす[28]。1900年(明治33年)には東京女医学校(現:東京女子医科大学)を創設した[28]。著書に「独乙語講義書」、「日独対訳修講義書」がある[28]
  • 大叔父・吉岡正明1884年(明治17年)10月13日生)
    曽祖父・吉岡玄雄の四男。1914年(大正3年)大阪府立高等医学校(現:大阪大学大学院医学系研究科・医学部)卒[30]1920年(大正9年)12月東京女子医学専門学校教授となり、1921年(大正10年)2月欧米留学、同年12月帰朝[30]1922年(大正11年)4月東京女子医学専門学校理事(のち専務理事)、1933年(昭和8年)4月独逸協会中学牛込医師会各理事を歴任[30][31]1949年(昭和24年)東京女子医科大学病院長に就任[30]。妻・房子は山崎巌の妹[32]。次男は東京女子医科大学学長の吉岡守正[30][31][33]。孫は同大学理事長(5代目)の吉岡俊正[31][34]。長女・恵美子は衆議院議員を務めた上塚司の長男・昭に嫁いだ[35]

家系図(吉岡家・岩本家)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吉岡玄白
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山崎家
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吉岡玄雄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鷲山養齋
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上塚司
 
房子
 
 
 
吉岡正明
 
俊子
 
 
 
吉岡松造
 
吉岡加津馬
 
吉岡荒太
 
 
 
彌生
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上塚昭
 
 
恵美子
 
吉岡守正
 
岩本家
 
 
 
 
 
 
みち
 
 
 
吉岡博人
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吉岡俊正
 
 
 
岩本絹子
 
 
 
 
照子
 
 
 
吉岡博光
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吉岡博文
 
 
 
 
 
 

脚注

  1. ^ 2025年1月現在の報道で78歳とされている。
  2. ^ a b c d e 医師のご紹介」医療法人社団薫誠会 葛西産婦人科。2025年1月13日閲覧
  3. ^ a b 東京女子医大 元理事長を逮捕 背任の疑い 医大の名門でなぜ?日本放送協会、2025年1月13日。2025年1月13日閲覧
  4. ^ a b 創業家出身、逮捕の東京女子医大元理事長は「独裁者のような存在」」『毎日新聞』毎日新聞社、2025年1月13日。2025年1月13日閲覧
  5. ^ a b c d e 岩本絹子「第一線で活躍している医学部卒業生 「至誠と愛」の精神を未来に継承していく」『Tokyo Women’s Medical University 東京女子医科大学 2022 医学部』(PDF)、24頁https://www.twmu.ac.jp/journal/igakubu_annai.pdf2025年1月13日閲覧 
  6. ^ 母児感染における新生児大腸菌感染症の発現機序に関する細菌学的研究」『CiNii』国立情報学研究所。CRID 1920865334942230272。2025年1月13日閲覧
  7. ^ a b c 東京女子医科大学”. 東京女子医科大学. 2025年5月10日閲覧。
  8. ^ スクープ!女子医大が小児治療「最後の砦」解体へ”. 東洋経済オンライン (2022年2月3日). 2025年5月10日閲覧。
  9. ^ 岩澤倫彦 (2022年7月19日). “「疑惑のカネ」を告発した職員を懲戒解雇 東京女子医大内部監査室は「まるで秘密警察」”. 週刊文春 電子版. 2025年5月10日閲覧。
  10. ^ 岩澤倫彦 (2022年7月19日). “「いつ事故が起きても不思議ではない」名門・東京女子医大が“存続の危機” 理事長“女カルロス・ゴーン”の「疑惑のカネ」《内部資料入手》”. 週刊文春 電子版. 2025年5月10日閲覧。
  11. ^ 岩澤倫彦 (2022年8月2日). “「実質的な強制調査」東京国税局の最強部隊“リョウチョウ”が東京女子医大の税務調査に着手!”. 週刊文春 電子版. 2025年5月10日閲覧。
  12. ^ 岩澤倫彦 (2022年12月28日). “「巨額のカネを不正に流用した『背任罪』の疑い」東京女子医の“女帝”が警視庁に刑事告発された!”. 週刊文春 電子版. 2025年5月10日閲覧。
  13. ^ 岩澤倫彦 (2023年3月31日). “《存亡の危機》名門・東京女子医大の「深すぎる闇」 理事長の疑惑のカネ、医師や看護師の大量退職、崩壊状態のICU、医療ミスによる患者死亡事故…”. 週刊文春 電子版. 2025年5月10日閲覧。
  14. ^ 「週刊文春」編集部 (2024年3月31日). “東京女子医大の闇 ついに家宅捜索「女帝」と謎の側近2人が絡んだ疑惑のカネ”. 週刊文春 電子版. 2025年5月10日閲覧。
  15. ^ 「週刊文春」編集部 (2024年8月1日). “「女帝に事実上の辞任勧告!」“東京女子医大の闇”第三者委員会の調査報告“驚きの内容”「女子医大の理事会は解散すべき」「予想は良い意味で裏切られました」”. 文春オンライン. 2025年5月10日閲覧。
  16. ^ 倫彦,「週刊文春」編集部, 岩澤 (2024年8月5日). “「解体的出直しをはかる」“東京女子医大の闇”女帝・岩本絹子氏の理事長退任が確定的に!「7日に臨時理事会が開催され、理事長辞職を勧告予定」”. 文春オンライン. 2025年5月10日閲覧。
  17. ^ 東京女子医大の元理事長を逮捕 新校舎建設の報酬めぐり背任の疑い:朝日新聞”. 朝日新聞 (2025年1月13日). 2025年5月10日閲覧。
  18. ^ 東京女子医大 元理事長、背任容疑再逮捕 1.7億円損害 新病棟建設でも”. 毎日新聞. 2025年5月10日閲覧。
  19. ^ 東京女子医大:東京女子医大の元理事長を起訴 地検、背任罪で”. 毎日新聞. 2025年5月10日閲覧。
  20. ^ 「医者というより政治家」|京都新聞デジタル 京都・滋賀のニュースサイト”. 京都新聞デジタル (2025年1月13日). 2025年4月30日閲覧。
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m 医学公論社 (1957年). “日本医籍録 第25版(昭和32年)西日本版”. dl.ndl.go.jp. p. 3(佐賀県の部). 2025年1月14日閲覧。
  22. ^ a b c 東京女子医科大学八十年史”. dl.ndl.go.jp. 東京女子医科大学. p. 86 (1980年). 2025年1月14日閲覧。
  23. ^ a b c d e 吉岡弥生女史伝記編纂委員会 (1967年). “吉岡弥生伝”. dl.ndl.go.jp. pp. 190-191. 2025年1月14日閲覧。
  24. ^ a b 日本文化研究会 (1940年). “九州文化大観 第2版”. dl.ndl.go.jp. pp. 20-21(東松浦郡の部). 2025年1月14日閲覧。
  25. ^ シンシア 2014.No.3. https://www.twmu.ac.jp/journal/sincere03/HTML5/pc.html#/page/22 
  26. ^ 吉岡弥生伝”. dl.ndl.go.jp. 吉岡弥生女史伝記編纂委員会. p. 196 (1967年). 2025年1月15日閲覧。
  27. ^ a b c d 医事時論社 (1939年). “日本医籍録 昭和14年版 附録、醫學博士録、法規”. dl.ndl.go.jp. p. 6(佐賀県の部). 2025年1月14日閲覧。
  28. ^ a b c d e f g h i j 佐賀新聞社 (1983年). “佐賀県大百科事典”. dl.ndl.go.jp. p. 831. 2025年1月14日閲覧。
  29. ^ a b 東京女子医大 岩本理事長解任 背景に「一強体制」 推薦入試や教員昇進は寄付金次第?”. テレ朝news. 2025年1月14日閲覧。
  30. ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 (1962年). “大衆人事録 第22版 東京篇”. dl.ndl.go.jp. p. 852. 2025年1月14日閲覧。
  31. ^ a b c 人事興信所 (1968年). “人事興信録 第24版 下”. dl.ndl.go.jp. p. 34(よ之部). 2025年1月14日閲覧。
  32. ^ 発展社 (1928年). “大日本博士録 第4巻”. dl.ndl.go.jp. p. 768(医学の部). 2025年1月15日閲覧。
  33. ^ 医学書院/週刊医学界新聞 【第28回日本医学教育学会大会開催】 (第2203号 1996年8月19日)”. www.igaku-shoin.co.jp. 2025年1月14日閲覧。
  34. ^ http://www.twmu.ac.jp/univ/”. 東京女子医科大学. 2025年1月15日閲覧。
  35. ^ 人事興信所 (1959年). “人事興信録 第20版 上”. dl.ndl.go.jp. p. 16(う之部). 2025年1月14日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第20版 上』人事興信所、1959年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年。

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