岩手県公会堂
名称: | 岩手県公会堂 |
ふりがな: | いわてけんこうかいどう |
登録番号: | 03 - 0061 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 鉄筋コンクリート造地上2階地下1階建、建築面積1580㎡、塔屋付 |
時代区分: | 昭和前 |
年代: | 昭和2 |
代表都道府県: | 岩手県 |
所在地: | 岩手県盛岡市内丸11-2 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 岩手県近代化遺産総合調査、佐藤功一設計 |
施工者: | |
解説文: | 敷地中央にほぼ南面して建つ。間口44m,奥行48mの規模で,RC造2階建,陸屋根とする。玄関奥を階段室,その奥を中庭とし,後部に大ホールを置く。中央に6層の塔屋を設け,外壁をスクラッチタイル貼とし,外部に柱形を現して垂直性を強調する。 |
建築物: | 岡山禁酒会館 岩国徴古館 岩国徴古館第一収蔵庫 岩手県公会堂 岸和田市立自泉会館 川久保家住宅診察室及び納屋 幕末と明治の博物館別館 |
岩手県公会堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 14:15 UTC 版)
岩手県公会堂 Iwate Prefecture public hall |
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岩手県公会堂
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情報 | |
正式名称 | 岩手県公会堂 |
完成 | 1927年6月15日 |
客席数 | 839席 |
延床面積 | 3,589.25m² |
用途 | 講演会、演奏会等 |
運営 | 希望橋グループ |
所在地 | 〒020-0023 岩手県盛岡市内丸11番2号 |
最寄駅 | JR東北新幹線・JR東北本線・JR山田線・JR花輪線・JR田沢湖線・いわて銀河鉄道線「盛岡駅」下車、徒歩30分 |
最寄バス停 | 「県庁・市役所前停留所」下車 |
外部リンク | http://iwate-kokaido.jp/ |
岩手県公会堂(いわてけんこうかいどう)は、岩手県盛岡市にある公共施設。岩手県庁舎の隣に位置している。所有者は岩手県で、現在は学校法人龍澤学館、第一商事株式会社、株式会社IBC開発センター、株式会社総合企画新和に管理を委託している。
概要

1927年6月15日竣工[1]。設計は、大隈講堂や日比谷公会堂の設計で有名な建築家・佐藤功一が担当した[2]。様式はネオゴシック様式[2]。当時としては高層の建築物で、塔屋からは盛岡の町が見渡せたという。
塔屋を除き2階建て。当初は岩手県議会議事堂の機能を持っており県政を象徴する建物で[1]、西側に議事堂、東側にはレストランなどが入っていた[2]。第二次世界大戦直後は進駐軍が病院として使用していた[2]。
1965年に県議会議事堂が完成して移転し、以後は1973年に岩手県民会館が完成するまで県内最大級の文化・集会施設だった[1]。大小16の会議室、大ホール、ギャラリーなどで構成され、大ホールは、盛岡文士劇(中止前)など、演劇上演や音楽公演用のホールとして親しまれた。
建物の老朽化や利用率の低下のため、2000年に岩手県公会堂懇談会を設置して存廃について検討されたが全面保存することを決定[1]。大きな補修、改築を経ていないため、県議会議事堂当時の装飾・施設などが残されている。
2009年、塔屋の耐震工事、大ホール及び21号室の改修・復元工事が行われた。
開館時から1945年8月まで建物東側にあったレストラン「公会堂多賀」は戦後は公会堂の地下に店を移転していたが、2017年3月末をもって閉店した[1][2]。この店は新渡戸稲造が帰郷時に利用していたことで有名で、ブイヤベースから始まる、新渡戸が食したメニューを提供していた。
周辺
アクセス
- JR東日本・IGRいわて銀河鉄道盛岡駅東口より岩手県交通バス・岩手県北バス:「県庁・市役所前」バス停下車
脚注
外部リンク
座標: 北緯39度42分11.3秒 東経141度9分12.5秒 / 北緯39.703139度 東経141.153472度
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