山野古墳とは? わかりやすく解説

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山野古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/10 08:18 UTC 版)

座標: 北緯35度32分00.9秒 東経139度39分12.9秒 / 北緯35.533583度 東経139.653583度 / 35.533583; 139.653583

山野古墳
山野古墳の位置図。正確な地点が不明のため『横浜市文化財地図』に基づき「鶴見区No.10遺跡」の中心部を表示。

山野古墳(さんやこふん)は、かつて神奈川県横浜市鶴見区駒岡に所在した古墳時代古墳駒岡古墳群に含まれるが、正確な所在地点は不明で、築造年代や墳丘の形態などもよく解っていない。出土遺物がわずかに師岡熊野神社の熊野郷土資料館に伝わっている。

立地と概要

鶴見区西部に広がる下末吉台地(標高40-50メートル)の、鶴見川南岸に面した台地北端部(地域名では鶴見区駒岡梶山・三ツ池公園・上末吉下末吉諏訪坂にかけて)には、かつて複数の古墳群横穴墓群が分布しており[1][2][3]、同区駒岡に集中域をもつ古墳群は「駒岡古墳群」と呼ばれている[4][注釈 1]

1907年(明治40年)4月4日に駒岡北端の丘陵斜面で土取工事中に横穴墓が開口し、1908年(明治41年)10月9日に東京帝国大学坪井正五郎が招聘され、横穴墓と山頂の古墳発掘調査したことで、駒岡瓢箪山古墳岩瀬山横穴墓群(お穴様)・駒岡堂の前古墳などが知られるようになった。

山野古墳は、駒岡堂の前古墳の西側の丘陵上に位置したとされ、『横浜市文化財地図』(2004年発行)には、鶴見区駒岡4丁目32番地の「鶴見区No.10」という埋蔵文化財包蔵地の付近にあったとされている[2][5]。しかし既に破壊され、詳しい様相は解っていない。僅かながら出土遺物勾玉4点・管玉2点・丸玉1点など)が伝わっており、現在は駒岡堂の前古墳の出土遺物とともに、師岡熊野神社の熊野郷土資料館が所蔵している[2][1]

脚注

注釈

  1. ^ 鶴見川下流域一帯は、駒岡古墳群以外にも古墳群横穴墓群が散在的に分布しているため、横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターは「駒岡周辺の古墳群」という、より広い範囲の捉え方でこれらを解説している[2]

出典

  1. ^ a b 横浜市歴史博物館 2001, p. 40.
  2. ^ a b c d 埋蔵文化財センター 2014, pp. 1–4.
  3. ^ 鶴見区総務部区政推進課. “第24回:眠りを覚ました古代人”. 横浜市. 2023年6月5日閲覧。
  4. ^ 松崎 2007, p. 105.
  5. ^ 横浜市教育委員会事務局生涯学習部文化財課 2004, p. 7.

参考文献

外部リンク

画像外部リンク
横浜市行政地図情報提供システム「文化財ハマSite」



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