山下と最後の激闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:27 UTC 版)
打倒・山下に執念を燃やした斉藤は、全日本決勝が10分の長丁場である事を踏まえスタミナ対策に勤しみ、また山下の得意技である大外刈対策として大外返の特訓に打ち込んで、1985年4月の全日本選手権に臨んだ。大会では初戦で百田秀明5段、2回戦で栗原三千男4段、3回戦で渡辺浩稔3段、4回戦となる準決勝戦で滝吉直樹4段を降して決勝戦に進出。決勝で三たび山下と対戦すると、中盤に山下が仕掛けた大外刈のフェイントからの支釣込足を空振りさせた所を作戦の特訓していた大外返にいったが、山下の技が大外刈ではなかったのでできず、浴びせ倒し背中から山下を倒す格好となったが、この技は審判から有効な技と見なされず、その後山下は攻勢に出て斉藤がやや守りの姿勢に入って試合が終了した。浴びせ倒しは技とみなされていないので一本は取れないが他の投げのスコアは取ることが可能であった。佐藤宣践や斉藤の国士館高校時代の監督であった川野一成やNHKはスコアが与えられなかったのは山下のスリップ、自爆とみなされたためであろう、とした。終了と同時に勝利を確認した斉藤がガッツポーズを出す場面もあったが、中盤に繰り出された斉藤の返し技がどのように判断されるか注目される中で結局判定の大きな材料とはならず、逆に試合終了間際まで物凄い形相で技を出し続けた山下が旗判定で優勢勝ちして大会9連覇を達成。主審は斉藤優勢としたが副審2名が山下優勢とした。結果として、この大会を以って引退した山下とは8度対戦しながら斉藤は一度も勝てずに終わっている。それでも最初は一本負だったのがその後は指導・注意・僅差と、次第に山下との実力差が縮まっていったのも事実であった。 なお、斉藤は試合後に山下の残した「本当はロス五輪の後で引退しようと思っていた。でも、最後は斉藤の挑戦を受けてから引退しようと考え直した」との言葉に感激し、斉藤は「こんな人に出会えた自分は幸せ」「山下さんがいたからこそ、それに向かう努力・研鑚というプロセスも生まれた」と感謝の言葉を述べている。
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