尾上車山古墳
名称: | 尾上車山古墳 |
ふりがな: | おのえくるまやまこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 岡山県 |
市区町村: | 岡山市尾上 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1972.07.29(昭和47.07.29) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S47-5-106尾上車山古墳.txt: 岡山市街地の西方、吉備津彦尊の陵墓とされる中山茶臼山古墳の位置する吉備中山丘陵の東南尾根先端にある前方後円墳で、ぎりぎり山古墳ともよばれている。 古墳の規模は全長約140メートル、前方部は細長く平坦な形状を保ち、3段築成の状況も明らかである。内部主体は後円部中央で、主軸方向に直交した竪穴式石室の所在も推定され、一部壺形埴輪片の散布も認められるなど、前期古墳としての様相をよく伝えている。 この古墳は往時においては、児島湾などの海面にのぞむ古墳として知られ、古代吉備地方の海路の拠点を考えるに際して欠くことのできない古墳と目される。 |
尾上車山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 20:39 UTC 版)
尾上車山古墳 | |
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![]() 墳丘(前方部から後円部を望む) |
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所在地 | 岡山県岡山市北区尾上 |
位置 | 北緯34度39分32.28秒 東経133度51分54.51秒 / 北緯34.6589667度 東経133.8651417度座標: 北緯34度39分32.28秒 東経133度51分54.51秒 / 北緯34.6589667度 東経133.8651417度 |
形状 | 前方後円墳(柄鏡式) |
規模 | 墳丘長138.5m 高さ11m(後円部) |
埋葬施設 | (推定)竪穴式石室 |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 4世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「尾上車山古墳」 |
地図 |
尾上車山古墳(おのうえくるまやまこふん)は、岡山県岡山市北区尾上にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。別名を「ぎりぎり山古墳(ギリギリ山古墳)」とも[1][2][3]。
概要
岡山市街地から西方、独立丘陵「吉備の中山」の南東端に築造された大型前方後円墳である。墳形は前方部が開かない「柄鏡式」の前方後円形で(別説にわずかに開く「バチ形」)[4]、前方部を東方に向ける。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段または3段築成[3]。墳丘外表では葺石・埴輪が検出されているほか、墳丘北側では一辺約20メートルの造出の存在が推測される[4]。埋葬施設は未調査のため明らかでないが、後円部中央において墳丘主軸に直交する竪穴式石室の存在が推定される[2]。
この尾上車山古墳は、墳形・出土埴輪から古墳時代前期前半の4世紀後半頃[3](または4世紀中葉頃[1])の築造と推定され、同じく吉備の中山に位置する中山茶臼山古墳(大吉備津彦命墓)に続く大首長墓とされる[3]。古墳南側に広がる水田地帯はかつては海であり、この「臨海型」の尾上車山古墳が築造された背景には海上交通との関連が推測される[4][5]。また、吉備地方の前期古墳としては浦間茶臼山古墳(岡山市東区浦間)と並び代表的な古墳であり、古代吉備の海路拠点を考察するうえでも重要視される古墳になる[1][6]。
古墳域は1972年(昭和47年)に国の史跡に指定されている[6]。
墳丘
墳丘の規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:138.5メートル
- 後円部 - 3段築成。
- 直径:96メートル
- 高さ:約11メートル
- 前方部 - 2段または3段築成[3]。
- 幅:52メートル
- 高さ:9メートル
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後円部墳頂
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後円部から前方部を望む
文化財
国の史跡
脚注
参考文献
- 史跡説明板(岡山市教育委員会、2016年設置)
- 「尾上車山古墳」『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490344。
- 出宮徳尚「尾上車山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。 ISBN 4490102607。
- 「尾上車山古墳」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
外部リンク
- 尾上車山古墳のページへのリンク