中山茶臼山古墳とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 遺跡 > 古墳 > 日本の古墳 > 中山茶臼山古墳の意味・解説 

中山茶臼山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/28 04:35 UTC 版)

中山茶臼山古墳

墳丘(右に後円部、左に前方部)
所在地 岡山県岡山市北区吉備津
位置 北緯34度40分0.51秒 東経133度51分16.87秒 / 北緯34.6668083度 東経133.8546861度 / 34.6668083; 133.8546861座標: 北緯34度40分0.51秒 東経133度51分16.87秒 / 北緯34.6668083度 東経133.8546861度 / 34.6668083; 133.8546861
形状 前方後円墳
規模 墳丘長105m
高さ11m(後円部)
埋葬施設 不明
出土品 埴輪
築造時期 古墳時代前期
被葬者 宮内庁治定)大吉備津彦命
陵墓 宮内庁治定「大吉備津彦命墓」
特記事項 行燈山古墳奈良県天理市)の2分の1相似形
地図
中山茶臼山
古墳
テンプレートを表示
大吉備津彦命墓 拝所
1.5 km
吉備津彦神社
(備前国一宮)
吉備津神社
(備中国一宮)
古代吉備
文化財センター
中山茶臼山古墳
(大吉備津彦命墓)
吉備の中山の主な古墳

中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)は、岡山県岡山市北区吉備津にある古墳。形状は前方後円墳

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)」として第7代孝霊天皇皇子大吉備津彦命(吉備津彦命)の墓に治定されている。

概要

岡山市街地から西方、独立丘陵「吉備の中山」の山上に築造された大型前方後円墳である。現在は墳丘が極めて良好に遺存する[1]。現在は宮内庁の治定墓として同庁の管理下にあり、2008年度(平成20年度)に墳丘測量調査などが実施されている[1]

墳形は前方部が開く「バチ形」の前方後円形で、前方部を南方向に向ける[1]。墳丘は2段築成[1]。墳丘外表では葺石が確認されているほか、出土埴輪から埴輪列の存在が推測される[1]。その他の詳細は明らかでない。

築造時期は、古墳時代前期頃と推定されるが、資料に欠け具体的な築造時期は明らかでない[2]。性格としては、吉備津を望む臨海性と背後の平野を望む内陸性の両面が指摘される[3]。なお、吉備の中山は後世の備前国備中国の境界になるが、山上に位置する本古墳の古墳域はその境界線上にあたる[4][1]。またこの吉備の中山では、初期古墳の矢藤治山古墳や、前期古墳の尾上車山古墳(国の史跡)の築造も知られている。

遺跡歴

墳丘

後円部墳丘
手前は八徳寺奥の院の穴観音(一説に前身は古墳を拝む磐座か)[5]

墳丘の規模は次の通り(値は宮内庁の測量図に基づく推定復元値)[1]

  • 墳丘長:105メートル
  • 後円部 - 楕円形(長軸は墳丘主軸と不一致)。2段築成。
    • 直径:長軸68メートル、短軸64メートル
    • 高さ:11メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 長さ:63メートル
    • 幅:約45メートル
    • 高さ:5メートル
  • くびれ部
    • 幅:約23メートル

かつては墳丘長に関して約120メートルという数字が知られたが、2008年度(平成20年度)の宮内庁による測量では上記の値に修正される[1]

墳丘の築造規格については、行燈山古墳奈良県天理市、伝崇神天皇陵)の2分の1相似形とする説がある[2]

被葬者

中山茶臼山古墳の実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁では第7代孝霊天皇皇子大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと、吉備津彦命)の墓に治定している[6][7]。この大吉備津彦命について、『古事記』では本の名を「比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみこと)」、亦の名を「大吉備津日子命」とし、弟の若日子建吉備津彦命とともに吉備国を平定したとする[8][9]。また『日本書紀』では、本の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)」、亦の名を「吉備津彦命」とし、四道将軍の1人として西道に派遣されて平定したとする[8][9]。両書には大吉備津彦命の墓についての記述はないが、1874年明治7年)に本古墳がその墓に治定され、それが現在まで踏襲されている[1]

なお吉備の中山の山麓では、大吉備津彦命を祭神とする吉備津神社(岡山市北区吉備津、備中国一宮)、吉備津彦神社(岡山市北区一宮、備前国一宮)の所在が知られる。特に前者の吉備津神社は国史にも「吉備津彦命神」として見える霊廟になり、その社伝で大吉備津彦命は吉備の中山の麓に茅葺宮を建てて住み、281歳で亡くなって山頂に葬られたと伝えている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 書陵部紀要 陵墓篇 第61号 2010, pp. 21–29.
  2. ^ a b 中山茶臼山古墳(岡山市シティミュージアム「岡山市の文化財探訪」)。
  3. ^ 日本古墳大辞典 1989.
  4. ^ 岡山県の地名 1988.
  5. ^ 薬師寺慎一 『考えながら歩く吉備路』上、吉備人出版、2008年、pp. 146-151。
  6. ^ 『陵墓要覧』宮内省諸陵寮編、1934年(国立国会図書館デジタルコレクション8コマ)。
  7. ^ 『陵墓地形図集成』縮小版、宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 400。
  8. ^ a b 国史大辞典.
  9. ^ a b 日本古代氏族人名辞典 2010.

参考文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中山茶臼山古墳」の関連用語

中山茶臼山古墳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中山茶臼山古墳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中山茶臼山古墳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS