藤本観音山古墳
名称: | 藤本観音山古墳 |
ふりがな: | ふじもとかんのんやまこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 栃木県 |
市区町村: | 足利市 |
管理団体: | |
指定年月日: | 2006.07.28(平成18.07.28) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 関東平野の北端、栃木県と群馬県の境を流れる矢場川右岸の標高約30mの洪積台地上に所在する、古墳時代前期中頃の前方後方墳である。 墳丘は墳長117.8m、前方部は2段で高さ5.4m、後方部は3段で高さ 11.8mを測り、葺石は後方部3段目に施されていた。前方後方墳としては、全国で5番目、東日本では2番目の規模である。埴輪は未確認だが、後方部の頂部には二重口縁の壺形土器等が配されていた。埋葬施設は未調査であるが、盗掘の痕跡を確認しておらず、竪穴系のものが遺存しているとみられる。墳丘の周囲には周濠が伴う。形状は長方形を志向しながらも、縁辺部は不整形となっている。周濠を含めると全長は210mとなる。 周濠幅が狭くなっている部分の南側では、同時期の竪穴建物21棟、土坑3基等を確認した。本古墳の築造に関わる遺構、あるいは本古墳に伴う祭祀に関わる遺構など、本古墳と密接に関わる役割を果たしていたものとみなされる。 本古墳は毛野地域の古墳の変遷をたどる上では画期となる存在であり、当地域の政治状況を知る上で重要である。また、古墳の南西側で確認された竪穴建物等は、古墳と密接に関わる施設が隣接して存在していたことを知る上で貴重である。 |
藤本観音山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/02 07:42 UTC 版)
藤本観音山古墳 | |
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藤本観音山古墳全景
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所在地 | 栃木県足利市藤本町 |
位置 | 北緯36度18分2.8秒 東経139度26分12.3秒座標: 北緯36度18分2.8秒 東経139度26分12.3秒 |
形状 | 前方後方墳 |
規模 | 全長117.8m、高さ11.8m |
築造年代 | 4世紀中頃 |
埋葬施設 | (推定)竪穴形 |
出土品 | 二重口縁壺 |
指定文化財 | 国の史跡「藤本観音山古墳」 |
地図 |
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藤本観音山古墳(ふじもとかんのんやまこふん)は、栃木県足利市藤本町にある4世紀中頃に築造された前方後方墳。
概要
藤本観音山古墳は、墳長117.8メートル、前方部は2段で高さ5.4メートル、後方部は3段で高さ11.8メートル、周濠を含めた全長は約210メートルの前方後方墳である。後方部は、3段目に葺石(ふきいし)が施され、墳頂には二重口縁(にじゅうこうえん)の壺形土器等が配されていた。前方後方墳としては全国で5番目、東日本では3番目の規模である。
1964年(昭和39年)7月25日、足利市の史跡に指定され、その後2006年(平成18年)7月28日、国の史跡に指定される[1]。足利市では、足利学校跡、足利氏宅跡(鑁阿寺)、樺崎寺跡に次いで4番目の国指定の史跡となる。
周辺環境
藤本観音山古墳は、栃木県足利市藤本町530付近に位置し、南側には見渡す限りの水田風景が広がる。北側すぐの水田には産業廃棄物のスクラップが山積みになっており、その先は住宅地となる。
南西に約2キロメートル下った群馬県太田市龍舞町3089付近に塚廻り古墳群第4号古墳(通称:塚廻り4号古墳)がある。塚廻り4号古墳は、群馬県県指定史跡(昭和52年9月20日指定)であり、古墳からは円筒埴輪や形象埴輪が多数出土し現在は古墳公園として復元され公開されている。
アクセス
- 電車
- 東武伊勢崎線福居駅下車徒歩約30分
- 自家用車
- 国道50号(側道)堀込町交差点を南進約1.5キロメートルの栃木県道・群馬県道38号足利千代田線の枝道を西進約200メートル。
脚注
- ^ 矢場川だより(矢場川公民館) - 足利市公式ホームページ. (2015年10月14日)、2016年6月29日閲覧。
出典
関連項目
外部リンク
座標: 北緯36度18分2.8秒 東経139度26分12.3秒 / 北緯36.300778度 東経139.436750度
固有名詞の分類
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