小型車論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:28 UTC 版)
「ヴィルヘルム・キッセル」の記事における「小型車論争」の解説
「フェルディナント・ポルシェ」も参照 1920年代後半、ダイムラー・ベンツは名車とされるSシリーズ(英語版)(W06)を擁していたが、同車は台数が売れる車種ではなく、販売において大きな貢献をするものではなかった。1920年代後半のドイツでは、Sシリーズをはじめとする排気量3,000ccから7,000ccの高級車においても、フォード・モデルTやモデルAなどと争っている排気量2,000㏄台の中級車においても、価格面における競争力でドイツ車はアメリカ車に大きく劣っていた。その一方、排気量1,000㏄前後の小型車のカテゴリーにはアメリカ車は進出していなかったため、オペル、DKW、ハノマーグといったドイツ車が独占状態を築くことができていた。 そんな中、ダイムラー・ベンツにおいても、1928年8月16日に開かれた取締役会議において小型車生産が議題に上がった。旧ダイムラー出身の取締役で、ダイムラー・ベンツにおいても同社の車両開発全般の責任者を務めていたフェルディナント・ポルシェは、小型車の試作車の試験結果が良好である旨を報告し、キッセルはその小型車の販売についての試算を提示し、販売価格を(競合車より高い)5,000ライヒスマルク(RM)程度にしても、良好な結果が見込めると報告した。キッセルとしては販売組織の利用度や工場の操業率を改善するためにも、小型車の投入は有効だと考えていたが、これには小さくない投資が必要になるため銀行から出資を受けることを渋るヤールや、小型車の必要性は認めつつ、現時点では2,000ccの車両に注力するのが得策と考えるフリードリヒ・ナリンガーら、他の取締役たちによって難色を示されることになる。出席した8名の取締役で行われた投票では、小型車生産への賛成と反対が同数になったため、結論は持ち越されたが、2ヶ月後の1928年10月に開かれた次の会議では小型車の導入が正式に否決され、中級車の強化が決定した。 結果として、この会議はその後のダイムラー・ベンツの経営方針を大きく左右したことになり、同社は一般大衆向けの車を作ることよりも「高性能かつ高品質で付加価値の自動車を生産する」ことを第一とするようになる。加えて、この決定に失望したポルシェは1928年中にダイムラー・ベンツを去った。
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