小型車:ハマーとアエルマッキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:50 UTC 版)
「ハーレーダビッドソン」の記事における「小型車:ハマーとアエルマッキ」の解説
「ハーレーダビッドソン・ハマー」および「ハーレーダビッドソン・トッパー」も参照 戦争賠償の一部として、ハーレーダビッドソンはドイツの小型オートバイ(DKW・RT125)のデザインを取得した。それはアメリカ向けに適応され、1948年から66年まで製造販売された。様々なモデルが製造され、その中には1955年から59年まで製造されたハマーも含まれた。しかし現在ではその全てのモデルが「ハマー」と呼ばれている。イギリスのBSAも同じデザインを取得し、それはBSA・バンタムの基礎となった。 1960年、ハーレーダビッドソンはモデル165とハマーのラインをスーパー10として強化し、スクーターのトッパーを導入、アエルマッキのオートバイ部門の株式50%を購入した。翌年にはアエルマッキの250cc4ストローク単気筒マシンの輸入を始める。それはハーレーのバッジが付けられ、ハーレーダビッドソン・スプリントとして市場に投入された。スプリントのエンジンは1969年に350ccに拡大され、1974年に製造が中止されるまでそのままであった。 1965年末にペーサーとスカウトが生産中止されると、ボブキャットが最後のアメリカ国内産ハーレーダビッドソン製2ストロークマシンとなった。ボブキャットは1966年にのみ生産された。 ハーレーダビッドソンはアメリカ国内製2ストローク軽量マシンに代えて、アエルマッキ製の2ストロークマシン、M-65、M-65S、ラピッドを導入した。M-65はセミステップスルーフレームとタンクを特徴とし、M-65SはM-65のタンクを大型化、ステップスルーを取り除いたモデルであった。ラピッドはそれより大きく125ccのエンジンを搭載した。アエルマッキ製のハーレーは、1974年に4ストローク350ccのスプリントが2ストローク250ccのSS-250に置き換えられ、全て2ストロークマシンとなった。 ハーレーダビッドソンは1974年にアエルマッキを完全子会社とし、1978年にカジバに売却するまで2ストロークマシンを生産し続けた。
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