専修念仏の提唱とは? わかりやすく解説

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専修念仏の提唱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 20:33 UTC 版)

法然」の記事における「専修念仏の提唱」の解説

選択本願念仏集』で法然は、各章ごとに善導善導の師である道綽のことばを引用してから自らの見解述べている。法然においては道綽善導考え受けて浄土往生するための行を称名念仏を指す「正」とそれ以外の行の「雑」に分けて正行を行うように説いている。著書内で、時(時間)機(能力に応じて釈尊説かれ聖教のなかから自らの機根に合うものを選びとり、行じていく事が本義である事を説いた加えて仏教専修念仏を行う浄土門それ以外の行を行う聖道門分け浄土門娑婆世界厭い極楽往生願って専修念仏を行う門、聖道門現世修行行い悟り目指す門と規定している。また、称名念仏末法の世でも有効な行であることを説いている。 末法の世生まれた凡夫にとって、聖道門修行堪え難く浄土門帰し念仏行を専らにしてゆく事でしか救われる道は望めない。その根拠としては『仏説無量寿経』にある法蔵菩薩誓願四十八願中でも、特に第十八願)を引用して称名すると往生がかなうということ示し、またその誓願果たして仏となった阿弥陀仏十方諸仏讃歎しているとある『仏説阿弥陀経』示し、他の雑行不要であるとしている。もっとも、法然浄土門勧めたのは、自身含めた凡夫でも確実に往生できるであったからであって聖道門とその行によって悟りを得ること自体は困難ではあるが甚だ深いものであるとし、聖道門排除否定することはなかった。 また、無量寿経釈』では、『無量寿経においては仏土往生のために持戒すべきことが説かれているが、専らに戒行持していなくても念仏すれば往生遂げられる主張している。ただし、法然持戒排除したではなく持戒実際に行うことは大変難しく法然自身でもそれを貫くのは困難であると考えていたからこそ自分含めた凡夫往生するためには無理な持戒よりも一心に念仏唱えるべきであると唱えたのである。それは、『無量寿経釈』においても分際に従って1つでも2つでも持戒をしている者が一心に念仏すれば必ず往生できる唱えていることからも分かる。なお、法然自身による自分持戒は不十分であるとする自覚とは反対に世間では法然清浄持戒人物と評価されていた。九条兼実が娘の任子受戒のための戒師決める際に、法然戒律のことを良く知っている僧侶であるとして彼を招聘している(『玉葉建久2年9月29日条)。

※この「専修念仏の提唱」の解説は、「法然」の解説の一部です。
「専修念仏の提唱」を含む「法然」の記事については、「法然」の概要を参照ください。

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