対策とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 03:52 UTC 版)
その後後手の対策として、2つの手法が現れる。一つは角を3一のままで端に効かせながら囲う土居矢倉/変形土居矢倉(第4-1図、先手加藤一二三戦vs後手中原誠戦、1982年6月、第40期名人戦第五局)や矢倉早囲い(第4-2図、先手加藤一二三戦vs後手中原誠戦、1983年1月、第32期王将戦挑戦者決定リーグ)、中住まい(第4-3図、先手中原誠vs後手加藤一二三戦、1982年6月、第40期名人戦第六局)で戦うという指し方である。 △中原 持ち駒 歩2 ▲加藤 持ち駒 歩図は▲3七桂まで第4-1図 飛先不突対土居矢倉戦 △中原 持ち駒 歩2 ▲加藤 持ち駒 歩図は△2四銀まで第4-2図 飛先不突対矢倉早囲い戦 △加藤 持ち駒 なし ▲中原 持ち駒 なし図は▲5八飛まで第4-3図 飛先不突対中住まい玉戦 もう一つは端から一方的に攻められるため、早くに中央への戦いに持っていく、4一玉型で開戦するなどの矢倉を思考し、急戦矢倉が盛況となる。矢倉中飛車(先手田中寅彦vs後手米長邦雄戦、1983年2月、第24期王位戦予選決勝)、△5三銀右-6四歩型(先手中原誠vs後手内藤国雄戦、1982年9月、第23期王位戦第六局)、△5三銀右-6四銀型(先手中原誠vs後手石田和雄戦(1982年8月、第21期十段戦リーグ)先手▲3五歩からの歩交換に△4五歩~4四銀~5五歩(先手小野修一vs.後手加藤一二三戦 1983年8月 名将戦)居角△5三銀型から△5五歩▲同歩△同角(先手田中寅彦vs.後手谷川浩司戦 1984年1月 全日本プロトーナメント決勝第2戦)陽動振り飛車(先手田中寅彦 vs.後手谷川浩司戦 1984年2月 全日本プロトーナメント決勝第3戦)などの局面が現れた。 △米長 持ち駒 なし ▲田中 持ち駒 歩図は△6五歩まで第4-4図 飛先不突対急戦矢倉戦1 △内藤 持ち駒 歩 ▲中原 持ち駒 歩3図は△8五歩まで第4-5図 飛先不突対急戦矢倉戦2 △石田 持ち駒 歩 ▲中原 持ち駒 歩3図は△5三銀まで第4-6図 飛先不突対急戦矢倉戦3 2000年代以降の後手の矢倉戦の趣向は、この戦術が出たことで生じたのであった。飛車先不突矢倉はとにかく持久戦に持ち込むと効力を発揮するが、飛車先が突いていないことで奇襲戦に対して対応が遅れを取るので、結局2六歩と突く(突かせる)ことになる。 こうした後手の手段が増えて以降は、先手も端攻めも視野に入れつつ右銀を中央寄りに展開しようとする趣向で早くに動く後手矢倉を、☗3七銀-2六銀に3八飛〜3七桂〜2五桂や、☗3七銀-4六銀や、4八銀-3七桂型からスズメ刺しではなく3八飛と寄って右銀を5七から4六や4六歩〜4七銀と展開する動きで牽制し駆逐するようになっていき、森下システムが出る流れとなって行く。
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