寛水流空手とは? わかりやすく解説

寛水流空手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 00:27 UTC 版)

アントニオ猪木」の記事における「寛水流空手」の解説

寛水流空手(かんすいりゅうからて)は、1979年昭和54年12月1日空手家水谷征夫アントニオ猪木創設したフルコンタクト空手団体。その名称はアントニオ猪木本名である猪木寛至の「寛」と水谷の「」を取って命名された。現在は正式名称を「特定非営利活動法人 世界寛水流空手道せかいかんすいりゅうからてどう)」として東海地方中心に活動している。 『いつ何時誰の挑戦でも受ける』と表明したアントニオ猪木に対して安藤昇小説東海殺人拳』のモデルとして知られる空手家水谷征夫が「ルールの無い命をかけた戦い」を申し入れた。その申し出猪木承諾し具体的な話が進められた。なお、「ルールの無い命をかけた戦い」とはプロレス空手いかなる技も自由とし、急所攻撃さえ禁止しない、勝負生死をもって決するというものである水谷が鎌、サイトンファーなど琉球古武術達人でもあったことから、猪木素手に対して鎖鎌戦い挑んだといわれているが、これは誤りである。この試合両者で一旦は合意され当時マスコミに「昭和の巌流島」として取り上げられた。猪木有利の予想の中、新間寿水谷実力冷静な目で判断していた。そして、テレビ放映スポンサーがつかなかったことと、水谷貫手による目への攻撃蹴りによる急所攻撃によって猪木万一ことがあることを恐れた新間必死仲裁により、直前中止された。交渉過程水谷猪木に対してプロレス界のスターありながら、一空手家挑戦リスク覚悟承諾した姿勢尊敬の念を抱く。また猪木は、自らの命をかけて戦い挑んでくる日本人がいることに驚嘆する戦い前に鋭く対立した二人であったが、その後交流深め寛水流空手を創設した水谷1990年平成2年)に死去したが、訃報知った猪木盟友早すぎる死涙したという。

※この「寛水流空手」の解説は、「アントニオ猪木」の解説の一部です。
「寛水流空手」を含む「アントニオ猪木」の記事については、「アントニオ猪木」の概要を参照ください。

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