寛永の造り替え以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 13:55 UTC 版)
大同3年(808年)、勅を受けた下野国司・橘利遠が山崎太夫長兵衛(橋掛長兵衛)に架けさせたと伝えられ、以後16年に1度架け替えたとされる。原初の橋はつる植物などを使った吊り橋のような姿であった可能性がある。鎌倉時代の『八雲御抄』には「下野の山菅橋」の記載がある。 神橋の実在がはっきりと確認できる文献記録は室町時代に現れる。当時は一般庶民だけでなく、牛馬も渡っていた。また、両岸からはね出す刎橋(はねばし)であり、右岸(南岸)の刎ね木は自然の穴を利用して挿し込んでいたと伝えられる。
※この「寛永の造り替え以前」の解説は、「神橋」の解説の一部です。
「寛永の造り替え以前」を含む「神橋」の記事については、「神橋」の概要を参照ください。
- 寛永の造り替え以前のページへのリンク