寛文年間の寺社改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:43 UTC 版)
寛文3年(1663年)以降、徳川光圀により水戸藩領内の寺社調査が実施され、調査史料に基づき鎮守(神社)と各宗派(寺院)の「開基帳」(計15冊)が編纂された。寛文5年(1665年)に寺院奉行を設置し、翌年から寺社調査に基づく大規模な寺院整理を実施し、「破却帳」が編纂された。対象は無檀家もしくは無住といった経営の不安定な小寺、僧侶の不行跡が目立つ寺院、新興非合法の寺院等だった。破却帳によれば、約6割に及ぶ1,433寺院が整理を受けた。寺社改革は都市政策を兼ねており、城下町整備のため水戸城下21寺が2寺に整理された。 水戸八幡宮の社地の変遷からも、寺社改革の都市政策的な側面が伺える。水戸八幡宮がある八幡町も元は寺院であり、寛文6年(1666年)に本了寺、本伝寺、常円寺、慈眼院が破却された結果、新割(町名)として宅地化された。社地にあたる部分には蓮乗寺、本行寺、本法寺があり、蓮乗寺は元和3年(1683年)、本行寺は貞亨元年(1684年)、本法寺は宝永元年(1704年)にそれぞれ各地に移された。一方、水戸八幡宮の旧地である八幡小路は「矢塲、馬塲等」の用地、及び諸士の宅地となった。
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