寅彦と防災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:57 UTC 版)
「天災は忘れた頃にやってくる」の記事における「寅彦と防災」の解説
寺田寅彦は研究者として火災や地震などの災害に関心を持っていたが、1923年の関東大震災発生後は、これまで以上に深い関心を示すようになった。地震発生時、上野の二科展会場にいた寅彦は、自分のいる建物の無事を確認すると、「此珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しよう」と、その場に留まり、建物の様子などを観察した。続いて東京市内の焼け跡を回り、地震被害を調べた。 寅彦はその後、防災についての随筆を多く残した。1933年に発表した『津浪と人間』では、津波は定期的に起きるものでそのことは十年も二十年も前から警告しているという学者の主張と、二十年も前の事など覚えていられないという被害者の主張を取り上げ、「これらはどちらの云い分にも道理がある。つまり、これが人間界の「現象」なのである」と論じた。そして、 こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。 と述べた。 翌1934年には、寅彦の代表的な随筆ともいわれる「天災と国防」を発表した。ここでは、同年に発生した函館大火、手取川決壊による水害、室戸台風による被害を取り上げた。そして、文明が進むほど自然災害の被害が増大することを指摘し、その上で以下のように記した。 文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を十分に自覚して、そして平生からそれに対する防禦策を講じなければならないはずであるのに、それが一向に出来ていないのはどういう訳であるか。その主なる原因は、畢竟そういう天災が極めて稀にしか起らないで、丁度人間が前車の顚覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。 寅彦は、その後に書かれた随筆でも防災について記述し、天災による被害を忘れることへの危険性を訴えた。しかし、寅彦の随筆の中には、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は無い。ただし、寅彦の弟子であった科学者の中谷宇吉郎や藤岡由夫によれば、寅彦は生前このような言葉をしばしば口にしていたとのことである。
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