宮地岳線正面衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「宮地岳線正面衝突事故」の解説
1953年 (昭和28年) 7月8日7時40分ころ 西日本鉄道宮地岳線(現・貝塚線)の西鉄新宮駅 - 三苫駅間で木造車と鋼製車の正面衝突事故が発生し4名が死亡、97人が重軽傷を負った。 新宮駅発下り(貝塚・福岡市内方面)の107号電車が、三苫駅西側約200メートル付近にて、昭和28年西日本水害の影響で地盤がゆるんだことによって発生した土砂崩れを発見。約10メートルにわたって発生しており、線路が埋没していた。107号電車は乗客を現場で降車させて単線を引き返していた際、これを知らず走行していた後続の109号電車と正面衝突した。107号車が徐行をしていなかったこと、乗客をほとんど下ろしていた107号車が鋼製車で、通勤・通学客を満載していた109号車が木造車であったことといった不運が重なり、107号車が109号車に3~4メートル食い込む衝突となった。死者のうち2名は福岡市内へ通学する中学生で、重軽傷者の中にも通学中の中学生が多かったという。 三苫駅は無人駅であり、107号車の車掌はタブレットを持って徒歩で次の和白駅に知らせた。和白駅から連絡・救援要請を受けた新宮駅助役はタブレットのない107号車が引き返すとは思わず、109号車を現場に向けて発車させた。このような西鉄側のミス・運転規則無視を原因とし、糟屋地区警察署は関係者4人を業務上過失致死傷罪で立件した。
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