宮地明夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 02:36 UTC 版)
「きっといつかは幸福寺」の記事における「宮地明夫」の解説
第7話『お布施』に登場。英道の中学1年の時の担任で、国語教師。英道が所属していた野球部の顧問でもあった。遺影写真と英道の回想にのみ登場。授業中に早弁していた英道を物差しで叩くなど、厳しい面もあったが、英道は大変慕っていたようである。5年前にイジメ問題で責任を取って退職。その1年後に胃を患い、以来4年間にわたって闘病していた。ある日、英道がお布施を競馬につぎ込んでパアにしてしまう。その責任として急遽、依頼の入った宮地家の通夜・葬儀を任される。宮地と聴き、まさかとは思いながらも自身の担任であるとは気付かず、普段通りに経を唱えていたが、フルネームの箇所を読んだことで、遺影写真と共にかつての担任だったことを知る。驚いた英道は、つい口ごもってしまい、まともに経を唱えられず、通夜に参加していた親族の不興を買ってしまう。しかし、恩師のために最後まで尽くしたいと思った英道は家に帰った後に、かつて野球部の部員だった同級生らに連絡を入れ、翌日の葬儀に来させる。葬儀屋の花田になぜまた来たのかと苦言を呈されるが、経緯を説明し、わかってもらう。その後、前日の失礼を詫びた上で旅立たせる。英道はこの時、明夫のことを回想し、涙を流しながら経を唱える。葬儀が終わり、夫人と話をし、渡されたお布施を気持ちだけ受け取り、返す。
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