宮地岳線への転属
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/29 13:43 UTC 版)
大牟田線の5000形増備に伴い、20形は全編成とも1978年(昭和53年)から1981年(昭和56年)にかけて宮地岳線へ転属した。21編成以外は中間車を編成から外して2両編成としたほか、台車を狭軌用台車に交換し、1980年(昭和55年)から1981年にかけて2両編成車のワンマン化改造を行った(21編成改め121編成も後にワンマン化された)。塗装は転属時に大牟田線2000形と同様の黄色(オキサイドイエロー)地に赤色(ボンレッド)帯の塗装に改められた。編成から外された中間車モ24・26・28・30・32はそのまま廃車となっている。 最初に転属した31編成はそれ以前に宮地岳線に転属していた300形308編成・309編成に続く310-360(左側が津屋崎方、右側が貝塚方。以下同じ)に改番され、その他の編成は原番号に100を足した番号に改番された。1984年(昭和59年)、車体長を基準に改めて改番を行い以下のようになった。 宮地岳線転属時 → 1984年改番後 121-122-161 → 121-131-151 123-158 → 124-154 125-157 → 122-152 127-155 → 125-155 129-156 → 126-156 310-360 → 123-153 1986年(昭和61年)、台車を東急5000系電車の廃車発生品である東急車輛製造製TS-301に交換し直角カルダン駆動化(121・126編成を除く)を行い、前面に自動方向幕を設置したが、他形式の冷房化や600形の転属に伴い1987年(昭和62年)から1991年(平成3年)にかけて全車廃車となった。
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