官立・県立並設期 (1874年 - 1877年)
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「愛知第一師範学校」の記事における「官立・県立並設期 (1874年 - 1877年)」の解説
官立(国立) 1874年(明治7年)2月19日 - 「官立愛知師範学校」が設置される。日本全国 7大学区に設置された官立師範学校の一つ(第二大学区)。 1877年(明治10年)2月19日 - 国の財政悪化により、官立愛知師範学校が廃止される。建物・備品は愛知県に移管。 県立 上記の旧・官立愛知師範学校とは別個に、愛知県が小学校教員養成のために設置したものである。1873年(明治6年)12月 - 「愛知県養成学校」が設置される。 1875年(明治8年)9月 - 附属小学校を久屋町に設置。 1876年(明治9年)8月 - 「愛知県師範学校」に改称。
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官立・県立並設期 (1874年~1878年)
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「長崎師範学校」の記事における「官立・県立並設期 (1874年~1878年)」の解説
官立(国立) 1874年(明治7年)2月19日 - 官立英語学校(現・長崎歴史文化博物館付近)に併設する形で「官立長崎師範学校」を設置。日本全国 7大学区に設置された官立師範学校の一つ。 4月4日 - 英語学校内に校務取扱所を設置。 6月30日 - 長崎市桶屋町 光永寺(右の画像)を仮校舎とし、37名に入学を許可。 10月15日 - 開校式を挙行。 1875年(明治8年)2月22日 - 岩原郷 (現・長崎市立山) に校舎を新築落成。 11月 - 附属小学校を開設。 1878年(明治11年)2月 - 国の財政悪化により、官立長崎師範学校を廃止。建物・備品は長崎県に移管。 県立 上記の旧・官立長崎師範学校とは別個に、長崎県が小学校教員養成のために設置したものである。1874年(明治7年)3月 - 勝山小学校に「小学教則講習所」(小学校教則教習所)を開設。講習期間を約2ヶ月とする。 8月 - 島原、大村、平戸、福江、厳原に小学教則講習所を開設。 1875年(明治8年)2月 - 小学教則講習所を興善小学校 (新興善小学校の前身) に移転し、「養成所」と改称。他の小学教則講習所を閉鎖。 1876年(明治9年)1月 - 「小学教師養成所」と改称。 5月 - 「長崎公立師範学校」と改称。 6月 - 長崎市興善町の足立某家に移転。 8月 - 三潴県の旧佐賀県部分全体が長崎県に併合。 12月 - 長崎市興善町の芦塚某家に移転。 1877年(明治10年)2月 - 勝山小学校に再移転。 4月12日 - 「崎陽師範学校」と改称し、附属小学校を創設。 11月11日 - 長崎市新町、旧小倉藩邸跡に校舎を新築し、移転。 12月 - 新町校舎内に附属小学校を開設。
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