宗教とエルサレム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:03 UTC 版)
エルサレムは単に地理的に要所であるのではなく、アブラハムの宗教全ての聖地であることが最大の問題である。このことがエルサレムの帰属をめぐる紛争の火種となっており、パレスチナ問題の解決を一層困難にしている。 ユダヤ教にとっては、エルサレムはその信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた聖地であり、ユダ王国の首都であった場所でもある。現在でも幾つかの神聖とされる場所が残っている。中でも嘆きの壁は有名で、これは70年にローマ帝国がエルサレム神殿を破壊した時に外壁の一部が残されたものである。将来的にメシア(救世主)の預言が成就し、メシアの王国の首都エルサレムに神殿が再建された時に「地のすべての国々はエルサレムに集まって来る」こと(ゼカリヤ書12章)を信じている。 キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬され、復活した場所である。それらの遺跡とされる場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。イエスこそがユダヤ教の聖書(旧約聖書)に預言されたメシアで、新約聖書の黙示録には、将来的にエルサレムは再臨したイエスが治める王国の首都となると記されている。 イスラム教にとっては、エルサレムはムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。コーランは、メディナに居住していたムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちメッカのカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」までの旅をしたと語っている(17章1節)。しかし、これがユダヤ人のエルサレム神殿のあった場所と読み替えられるようになったのはムハンマドの死後100年程経った頃である。伝承によると、ムハンマドは「遠隔の礼拝堂」の上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。この伝承から、ウマイヤ朝の時代にはエルサレム神殿跡の丘の上に岩のドームが築かれ、そこからムハンマドが昇天したということになった。その後、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル=アクサー・モスクが建設されたが、エルサレムがイスラム教の「聖地」として現在のように重要視され始めたのは20世紀に入ってからのことである。また、エルサレムは、メッカ及びメディナと同格の聖地ではない。なぜならメッカとメディナは「禁域」の聖地とされ、異教徒の立ち入りや、樹木の伐採や狩猟すら禁止されているからである。これには、エルサレムが、ムハンマドの時代には東ローマ帝国の支配下にあり、「禁域」となり得なかったという事情がある。第2代のカリフであるウマルが東ローマ帝国から奪った後も、エルサレムが「禁域」とされることはなく、キリスト教徒とユダヤ教徒、ムスリムが共存する異教徒禁制とは無縁な国際的な宗教都市としてして現在に至っている。
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