宇治川電気への統合後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:51 UTC 版)
「兵庫電気軌道」の記事における「宇治川電気への統合後」の解説
一方で伊藤率いる兵庫電軌は、沿線において電燈事業や不動産など多角経営に乗り出すが、これが第一次世界大戦での不況で打撃を受ける。それに追い討ちをかけるが如く、伊藤の事業を後押ししていた増田ビルブローカー銀行が1920年に破綻すると、伊藤は社長辞任に追い込まれる。後任は岡崎財閥から岡崎藤吉が就任するが、神姫電鉄とは接続しているものの経営はなかなか好転しなかった。 その一方で。兵庫電軌・神姫電鉄両社に電気を供給していた宇治川電気が工業の不振で大口の電力需要が伸び悩んだこともあって、安定した電力供給先を求めて電気鉄道の経営に本格参入する動きを見せた。そのため再編も兼ねて兵庫電軌と神姫電鉄を統合し、一体化して経営することを計画。1927年(昭和2年)1月1日に兵庫電軌が、同年4月1日には神姫電鉄も宇治川電気へ統合され、ここに兵庫電軌は消滅した。 その後、1928年(昭和3年)8月26日には規格差を乗り越え、兵庫 - 姫路間の直通運転が実施されるようになった。さらに1933年(昭和8年)6月6日には再び電力と鉄道・軌道事業が分割されることになり、後者は新設会社の山陽電気鉄道へ譲渡され、現在に至っている。 なお路線建設の経緯により、兵庫 - 長田間や須磨周辺に併用軌道が終戦後まで残っていたが、前者は1968年(昭和43年)4月7日に神戸高速鉄道への直通運転開始により該当区間が廃線となることで解消され、後者も戦後間もない時期に専用軌道化された。それを踏まえ、1977年(昭和52年)12月27日には軌道扱いで残っていた西代 - 明石間が地方鉄道(今は普通鉄道)に切り替えられている。
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