宇川での研究
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1955年(昭和30年)から始まった京都大学研究グループの宇川での研究は、宇川橋のたもとにあった民宿「何時屋(なんどきや)」を拠点として、アユの縄張り行動と生息密度の関係などに関して日本海から遡上するアユの生態研究を深め、これをきっかけに宇川は、淡水生物研究河川(フィールド)として、全国にその名を知られることとなった。1962年(昭和37年)に池田書店から刊行された『鮎と釣り方』に掲載された「全国鮎釣り河川案内」では、宇川については「京大理学部によつて鮎の生態研究の行われている宇川があつて、日本海にそそいでいる。」とのみ紹介され、最寄りの交通手段を紹介している他の河川とは扱いが異なりアクセス情報を伏せられている。 アユは餌を採る場所になわばりをもち、その習性を利用した漁法に友釣りがあることは現代では常識であるが、京都大学の宇川での研究当時は、まだ一般に知られていなかった。宮地はアユのこの習性に着目し、アユのなわばりの範囲を調査することで、その川で生息できるアユの数、適切な放流数を算出できると考えた。 調査の結果は、アユのなわばり行動の詳細やなわばりの範囲、アユの生産速度などを明らかにするにとどまらず、アユの密度が高くなるとなわばりが崩壊して群れアユになる社会構造の変化や、アユによる川魚の群集構造の変化などにも及んだ。この宇川での研究成果を基に1960年に宮地が著した『アユの話』(岩波新書)は、国語の教科書にも掲載された。魚類の生活について調査するための川の「生息可能密度」等を明らかにした書である。 さらに、宮地の研究結果は、アユをはじめとして渓流魚が生息しやすい、深さがあり川の流れがゆるやかな「淵」の形態や成因に及び、M型やR型などと呼んで区別する景観的分類の基準は、この研究をきっかけに宇川から始まったとされる。「マエカケ」「カイジリ」などと名付けられた宇川の淵は、教科書でも紹介された。宇川は日本の川魚研究のメッカとなり、オイカワやカワムツなど、他の川魚の研究も行われた。1960年代には宮地のもと川那部浩哉や水野信彦ら多くの研究者が育まれた。
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