女性観について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:35 UTC 版)
ムスハフの神の啓示では、人間の女性観について、「女性とは信頼すべき存在である」とする見解から、女性とは男性より劣り、蔑視するべきである」という見解までが、幅広く語られている。神は、あるときは「女性とは、信頼できるものである」という女性信頼の心が強く現れた啓示をしている。また、神は、男女には差別がない、という方針を、啓示する場合もある。しかしあるときは、それとは逆に、神は、女性を蔑視するときがある。神は、「女性の価値とは、見た目が美しく処女であることだけである」という啓示を下しているときがある。この場合、神は、女性を社会に出さないようにする、という方針を啓示しているということになる。 最初期の教えの特徴としては、女性と男性とを同等に扱っていたということが言える。イスラーム教形成の時を見ると、重要な要点の一つに、男性は自立していなくてよかったけれど、女性は自立したキャリアウーマンでなければならなかった、という点がある。 ムハンマドの妻であったハディージャは、社会的に自立していたところの、ビジネスウーマンであった。 彼女は、精神面・教養面においても、ムハンマドに欠けていた宗教的知見を補うことによって、神の導きを確かにしたと言える。神は、「神は、迷っていた汝を導いてくださったではないか。神は、貧しかった汝を見つけて裕福にしてくださったではないか」(93章7)という啓示を下している。妻の立場は、啓示を見る限り、地上で召し出された神の使い、と言ったところであった。ここを見ると、女性蔑視とは正反対の、女性信頼の心が、神には大きく顕現している。神の、最初期の啓示では、男女の差別なく、能力のある者を導き手として登用していたといえる。 メッカ期において、ムハンマドの妻は一人であった。 メッカ後期から、メディナ期の啓示には、はっきりとした女性蔑視の思想が含まれている啓示がある(17章42節)。無理強いしない限り、奴隷妻に売春をさせても良いとする啓示もある。(24章33節)奴隷妻というのは、敵を征服したとき分捕った女性を奴隷にし、奴隷と妻の働きと役目をさせるものである。 メディナ期になると、預言者の妻は家でどっしりと構えているようにという啓示が下された。また、男性については、養うことが出来る財力がある人にかぎり4人まで妻をもってもよろしい、という啓示もある。それを合わせて考えると、イスラームにおいて、女は社会に出て働いてはならない、という解釈が生まれてくる。 メディナ期には、ムハンマドの敵は人間扱いされてはいなかった。敵は見つけ次第殺せ、という啓示がある。その殺した敵の妻や娘が、奴隷妻となる(33章49)。奴隷妻は「右手の持ち物」と啓示されている。敵の持ち物を手に入れた、というニュアンスがある。神は、メディナ期において、敵方の女性を人間とは見ていなかったと思われる。信者の妻の数は4人までとなってはいたが、そのほかに奴隷妻は何人でも持っても良いと啓示されている。 戦いで死んだ兵士は、天国に行くと、男性は地上での妻のほかに何人かの天国の処女妻を持てるが、女性の方は、それらの処女妻たちとは関係ない、古い顔見知りというだけの、処女になれない妻の一人になるようだ。
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