奈良第三尋常小学校・奈良第三尋常高等小学校
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「奈良市立鼓阪小学校」の記事における「奈良第三尋常小学校・奈良第三尋常高等小学校」の解説
1910年、奈良市は従来の市立各小学校の統廃合を実施した。鼓阪尋常小学校周辺では、鼓阪尋常小学校、朝日尋常小学校の学区を統合し、奈良第三尋常小学校が設置された。 朝日尋常小学校は1874年、大豆山において尚教舎第五番小学として創立し、その後大豆山小学校→大豆山尋常小学校→朝日尋常小学校と変遷を遂げた小学校である。 奈良第三尋常小学校の本校が元の鼓阪尋常小学校に、仮教場が東向北町の元の朝日尋常小学校に設置された。それぞれ鼓阪教場、朝日教場と呼ばれた。朝日教場には元の朝日尋常小学校の児童のうち第一学年から第四学年が収容されたが、翌年の1875年に廃止されている。1912年には児童数増加に対応するため、本館や教室などの増築が行われた。 1922年、奈良第三尋常小学校に高等科が設置され、校名を奈良第三尋常高等小学校に改称する。高等科が設置された当時の児童数は尋常科が1066人(男: 554人、女: 512人)、高等科が116人(男: 80人、女: 36人)であった。学級の編成は尋常科が男女合同編成、高等科が男女別編成であり、担任は原則として進級した学級を持ち上がりで担当していた。 教育の方法として奈良第三尋常高等小学校では郷土教育を採用し、研究・実践された。ここでの郷土教育とは各科目を教授する際に郷土の教材や日常の生活を取り上げ、郷土や生活共同体への愛着・理解を重視した教育を施す教育方法である。校内には郷土室が設けられ、校区を中心として奈良市の歴史、地理、政治経済、産業など、生活全般に関わる資料、他の地域との対比を行うための資料が集められ、研究が行われた。 1924年には創立50周年の祝賀会、祝賀行事がとりおこなわれ、校歌が制定された。 1926年、青年訓練所令に呼応して奈良市第三青年訓練所が発足した。1935年には青年学校に衣替えし、軍事教練を重視するようになった。 1934年には室戸台風により校舎が大きく破壊された。講堂は北側に傾き、校庭には大きな木が4本、塀を破壊して倒れ込んだという。講堂は1936年に再建され、鉄筋コンクリートの純和風の建物となった。この講堂は2008年現在でも現役で使用されている(#校舎の節を参照のこと)。
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