奈良第三尋常小学校・奈良第三尋常高等小学校とは? わかりやすく解説

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奈良第三尋常小学校・奈良第三尋常高等小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 21:31 UTC 版)

奈良市立鼓阪小学校」の記事における「奈良第三尋常小学校・奈良第三尋常高等小学校」の解説

1910年奈良市従来市立小学校統廃合実施した。鼓阪尋常小学校周辺では、鼓阪尋常小学校朝日尋常小学校学区統合し奈良第三尋常小学校設置された。 朝日尋常小学校1874年大豆山において尚教舎第五小学として創立しその後大豆小学校大豆尋常小学校朝日尋常小学校変遷遂げた小学校である。 奈良第三尋常小学校本校が元の鼓阪尋常小学校に、仮教場東向北町の元の朝日尋常小学校設置された。それぞれ鼓阪教場朝日教場呼ばれた朝日教場には元の朝日尋常小学校児童のうち第一学年から第四学年収容されたが、翌年1875年廃止されている。1912年には児童数増加対応するため、本館教室など増築が行われた。 1922年奈良第三尋常小学校高等科設置され校名奈良第三尋常高等小学校改称する高等科設置され当時児童数尋常科が1066人(男: 554人、女: 512人)、高等科116人(男: 80人、女: 36人)であった学級編成尋常科男女合同編成高等科男女編成であり、担任原則として進級した学級持ち上がり担当していた。 教育の方法として奈良第三尋常高等小学校では郷土教育採用し研究実践された。ここでの郷土教育とは各科目を教授する際に郷土教材日常の生活を取り上げ郷土生活共同体への愛着理解重視した教育を施す教育方法である。校内には郷土室が設けられ校区中心として奈良市歴史地理政治経済産業など、生活全般に関わる資料他の地域との対比を行うための資料集められ研究が行われた。 1924年には創立50周年祝賀会祝賀行事とりおこなわれ校歌制定された。 1926年青年訓練所令に呼応して奈良市第三青年訓練所発足した1935年には青年学校衣替えし、軍事教練重視するようになった1934年には室戸台風により校舎大きく破壊された。講堂北側傾き校庭には大きな木が4本、塀を破壊して倒れ込んだという。講堂1936年再建され鉄筋コンクリートの純和風建物となった。この講堂2008年現在でも現役使用されている(#校舎の節を参照のこと)。

※この「奈良第三尋常小学校・奈良第三尋常高等小学校」の解説は、「奈良市立鼓阪小学校」の解説の一部です。
「奈良第三尋常小学校・奈良第三尋常高等小学校」を含む「奈良市立鼓阪小学校」の記事については、「奈良市立鼓阪小学校」の概要を参照ください。

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