天神貯木場と埋没遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 15:04 UTC 版)
天神貯木場は七座営林署、天神貯木場として七座山の東部山麓に開設された。開設は昭和6年で面積は6.18haであった。当時は関東大震災の復旧などから木材需要が大幅な伸びをみせていた。そのため、良質優良材の宝庫であった小阿仁川流域の森林の利用活用を目指したものであった。本格的な作業は昭和7年から開始されているが、同年に発生した大洪水により丸太の大部分が流出した。このためかさ上げ工事が行われ、その後は貯木場外に丸太が流出する被害は微少となった。昭和22~25年頃の最盛期には常時120人から200人職員、従業員が働き、「東洋一の大貯木場」と称された。その後、生産量の減少と、陸運の整備発達により役割を終えた。現在でも貯木場として少量の木材を貯木する場所とはなっているが、往年のにぎわいはない。 また、天神貯木場から能代港まで丸太を筏に組み、輸送する筏流しが戦前から戦後にかけて行われた。その後、道路や陸橋の整備やトラックの性能向上で天候に左右される筏流しは昭和39年に姿を消した。 昭和7年から8年のかさ上げ工事の際に、七座山の東麓で米代川の川岸から200m離れた水田から、3.6m~5.7mの埋没住居跡が3棟発見された。発掘現場は米代川から5mほど高いところで、家屋は土間と床間が区別され、釘は使用されていなかった。屋内には臼や手杵、素焼きの瓶、曲げ物などがあり「アイヌ人の遺跡」と見なされた。これは、後に発掘された胡桃館遺跡と同様、平安時代初期の十和田火山大噴火によるシラス洪水で土中に埋没した家屋とされている。
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