大阪の凌雲閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 07:24 UTC 版)
浅草凌雲閣竣工の前年の1889年、大阪・北野茶屋町の遊園地「有楽園」内に、凌雲閣(9階建て・高さ39メートル)(北緯34度42分21.1秒 東経135度29分59.1秒 / 北緯34.705861度 東経135.499750度 / 34.705861; 135.499750 (凌雲閣(大阪)))が完成していた(檀重三から鷲尾宇兵衛へ譲渡)。「梅田東生涯学習ルーム体育館」(旧梅田東小学校跡地)の門前に、その碑が残る。 ノーベル賞作家のキプリングは1889年の日本旅行中に大阪で凌雲閣を見学し、「大阪のエッフェル塔」と呼んで、「日本人は誰でも眺めの良い所にやって来て腰をかけ、お茶やお菓子や酒を賞味するのが大好きだから、大阪では郊外に木材と鉄骨を用いて9階建ての塔を築き、粋を凝らした日本庭園を造り、一面に真っ赤な提灯を巡らして人を呼び寄せる商売が十分儲かるのだ。この大阪エッフェル塔は正直なところ美しい建築とはとても言えないが、そこから見える景色は補ってあまりある」と評し、1、2階にずらりと並んだ茶店でお茶を飲みながら花の景色を楽しむ満員の客を見て「東洋人がこれほど何かにうっとりと夢中になっているさまに私は驚いた」と書き記した。英領インド生まれの英国人であるキプリングは、景観を楽しむ趣味があるのは西洋人の上流階級のみと思っていたため、東洋人である日本の庶民が景色を楽しむ姿に衝撃を受けたという。 この9楼凌雲閣に先立つ1888年には、浪速区日本橋の遊園地「有宝地」(北緯34度39分41.2秒 東経135度30分13.3秒 / 北緯34.661444度 東経135.503694度 / 34.661444; 135.503694 (眺望閣))内に5階建て・高さ31メートルの眺望閣が造られており、「キタの九階」「ミナミの五階」と呼ばれた。眺望閣は六角柱状パノラマ式高塔で、日本で最初の西洋式高層建築ともいわれる。周囲には露天街も整備された。この眺望閣は1904年に解体されるが、現在も通称としての地名は五階百貨店として残っている。
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