大会の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:26 UTC 版)
「シェフィールド・ルール」の記事における「大会の誕生」の解説
1867年、世界初のフットボールトーナメントであるユーディン・カップがシェフィールド・ルールの下で開催された。トーナメントには地元の12チームが参加し、2月と3月に行われた。トーナメント委員会は反則に対してフリーキックを与えるためにフィールド外審判を使うことを決定した。決勝は3月5日に行われ、ブラモール・レーンで開催されたわずか2試合目のフットボールの試合であった。観衆は当時世界記録の3千人で、試合はハラムFCが最後の5分間に2つのルージュを記録し、ルージュの合計2対1でカップを手にした。シェフィールドフットボール協会はこのトーナメントの後に設立された。トーナメントに参加した12チームがシェフィールドFCと共に創立メンバーとなった。この協会は変更することなくシェフィールド・ルールを採用した。 1年後にクロムウェル・カップが開催された。この時は、設立2年以内のチームのみに参加資格が与えられた。参加した4チームの内、ザ・ウェンズデイが勝利を得た。決勝は90分が終わってもゴールのない引分であり、ゴールが決まるまで両チームはプレーした。これは延長戦を含む試合の初めての例であった。これ以後、1876年にシェフィールド・フットボール協会チャレンジカップが開始されるまで9年間大会が開催されなかった。 1868年にルージュが廃止され、代わりにゴールキックとコーナーキックが導入された。シェフィールドフットボール協会は1871年にボールの手での扱いをゴールの3ヤード以内に制限した。しかし、FAはピッチ上のどこででもボールを手で扱うことの許さえた指定されたゴールキーパーのポジションを導入した。シェフィールド・ルールでの試合がFAと比較して退屈に見えないように、シェフィールドフットボール協会はハーフウェイラインの制限を拡張した。 1870年、シェフィールドフットボール協会の16チームがFAへの加盟を許可されたが、これらのチームはFAクラブに対してシェフィールド・ルールでのプレーを続けることを許された。一年後、シェフィールドフットボール協会自身がFAに加盟し、2協会間の試合が始まった。 1871年から1876年の間に、合計16試合がシェフィールドの協会とロンドンのFAの間で行われた。シェフィールド・ルールとFAのそれぞれのルールの下でのプレーと同時に、混合ルールを用いた試合も数試合ブラモール・レーンで行われた。シェフィールド・ルールの要素はFAの規則に取り込まれてもいった。シェフィールドとロンドンの間で行われた試合によって、2つのルールはより似たものになっていった。シェフィールド協会によって提唱されたコーナーキックは、1872年2月17日にFAによって採用された。また、ゴールキーパーによる手でのボールの扱いを自陣に制限するシェフィールドのルールもFAによって採用された。シェフィールドはクロスバーの高さをFAと同じく8フィート (2.4 m)に戻した。
※この「大会の誕生」の解説は、「シェフィールド・ルール」の解説の一部です。
「大会の誕生」を含む「シェフィールド・ルール」の記事については、「シェフィールド・ルール」の概要を参照ください。
- 大会の誕生のページへのリンク