変遷・衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/10 13:37 UTC 版)
次第に在地領主同士の土地争いが増えるに従って、彼らは武装し、武士となった。鎌倉幕府の成立に従い、主に東国の武士は鎌倉幕府に奉公する、御家人となった。彼らはその代償たる御恩として、地頭に補任され、所領の支配権が鎌倉幕府に保証された。彼らは地頭という全く新しい職に付いたわけではなく、あくまで荘官や郷司・保司のうち幕府と主従関係を結んだものが地頭と呼ばれる点に付いては注意したい。当然彼らは荘官や郷司・保司以上の職は持たないのである。 土地地頭等任命権収入を得る権利関東御成敗地 関東御領・関東御分国 鎌倉幕府 関東進止所領・関東御口入地 鎌倉幕府 荘園領主・国司 本所一円地 荘園領主・国司 関東御成敗地に関しては幕府が地頭の補任権を持つ。つまり、その内関東進止領・関東御口入地には鎌倉幕府とは異なる荘園領主・国司が存在し、しかも彼らは荘官や郷司・保司の任命権は持たないのである。ただ頼朝の頃から、守護が在庁官人を指揮して大田文(土地台帳)を作成していた。そこで、地頭の年貢の滞納や領民の不法使用など、地頭職を越えた越権行為が行われるようになり、荘園領主や国司との間に紛争が生じた。その解決策が地頭請や下地中分である。このようにして地頭は領地の支配権を強めていった。 室町時代になると、幕府の設立の経緯から、守護の権力が強大であった。彼らは守護領国制の成立を目指して、在庁官人を含む鎌倉期の地頭、国人を被官化し、国衙や彼らの所持していた領地を掌握した。それと前後して、守護は半済、守護請等で、荘園領主等の権利をも侵食して行き、戦国時代になると、守護大名に代わった戦国大名はさらに土地の一円知行を進めていく。 その後、太閤検地により、土地には直接の耕作者の権利しか認められなくなり(一地一作人)、以前までの重層的支配構造は名実共に解消された。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
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