塩、石炭:燃える岩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 03:38 UTC 版)
「ウェストバージニア州の歴史」の記事における「塩、石炭:燃える岩」の解説
新しい州は、レコンストラクション以後の単一経済活動よりも、その鉱物資源から多くの発展という恩恵を受けた。北部パンハンドル地域と北部中央の大半は50フィート (15 m)の厚みの岩塩層があった。岩塩の採掘は18世紀以来行われており、簡単に採掘できるものは南北戦争の時までにほとんど採り尽くされたが、カノーハ郡の赤塩は初め南軍の後に北軍の貴重な生活必需品となった。その後の新しい技術によってウエストバージニア州にはおよそ2,000年間国内需要を賄うだけの塩資源があることが分かった。近年、塩の生産量は年間60万トンから100万トンで推移している 。 しかし、南北戦争後、まだ開発されていなかった大きな宝があり、これがアメリカの産業革命に大きく資して、かつ世界の多くの海軍で蒸気船の燃料となった。住民(先住民族と初期ヨーロッパ人開拓者)は以前から石炭の埋蔵を知っており、暖房や燃料に使えるという事実を知っていた。しかし、大変小さな「個人的」採鉱が実際的なところだった。 1850年代、デイビッド・T・アンステッド (1814-1880)のような地質学者が潜在的炭田を調査し、土地と初期の採炭計画に投資した。南北戦争後、新しい鉄道が敷かれ拡張するアメリカ国内と海外の市場に大量の石炭を運ぶ実際的な手段になった。ニュージャージー州とペンシルベニア州北西部の無煙炭の採炭がこの同じ時期に枯渇し始め、投資家や産業資本家はウエストバージニア州に新たな興味を集中させた。
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