基町庁舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 18:14 UTC 版)
2008年。 この地はもともと旧陸軍「西練兵場」として用いられた場所で、戦後は「市民グランド」として一般開放されていた他、どさくさに紛れ農耕地や商店が開かれていた。。県では早い段階から新しい県庁舎予定地として目をつけ、1947年(昭和22年)4月国から土地借用した。一方、1952年(昭和27年)広島商工会議所から建設嘆願書が出され、1953年(昭和28年)2月定例議会に建設促進発議書が提出され、同年5月県庁舎建設調査会設置、同年7月全体委員会で了承された。同年11月広島市から認可され正式に県庁予定地となった。予定財源は県費2億円、起債6億円、寄付金1億7千万円。寄付金は各市町村役場や財界、県職員から集め、当初予定より多い2億3千万円にまで達した。 1954年(昭和29年)3月26日着工、1956年(昭和31年)2月29日竣工。特徴として、太田川下流域の広島デルタ内に位置する当地は軟弱地盤対策を施す必要があったが杭基礎を用いず浮函工法(舟形構造)を採用したことと、主要事務室を南向きに並列配置し風通しや日照を重視した点である。なお、110万時間連続無事故という、当時の建築業界記録も達成している。 落成式は同年4月19日に県庁講堂で行われた。
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