基本思想について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 07:53 UTC 版)
それぞれに内なる光があるとするクエーカーの信仰は、「すべての人を照らすまことの光であって、世にきた」という新約聖書の一節(ヨハネによる福音書1章9節)から来ている。友会徒は「全ての」人は自身の内なる光と共に生まれたという一節を協調している。初期の友会徒は、この一節を自分達の標語のひとつとし、度々「光の子供たち」に自らを擬えた。 キリスト友会の教祖の一人ジョージ・フォックスは、神は直接その姿を現すと言った。フォックスは様々な教派の教義を探索し、様々な伝道者の言い分に耳を傾けた。遂に誰も自分に本質を示してはくれないと結論付けた。その時、「イエス・キリストをおいて汝の状態に語る者はいない」という声があったと言っている。フォックスは一人一人が神を具現しその声を自らのうちに聴ける故にその道を教えあるいは導くものを信頼できない人に神の道を教えることを望んでいると感じた。日記に書いている。「その内部の光、聖霊、皆が救世主のあることを知る恩寵、神に対する道に人々を向かわすよう導かれたこと、全てにおける真理に人々を導き給う聖霊さえも、絶対に人を欺くことがないことを嬉しく思う。」フォックスの教えは、キリスト即ち光は、自分に従う人々自身を導くために来たし(あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。)、人々が静かに神を待つならば、光は人々がどのように生きるかを教え、キリストについて教え、心の状態を示すだろうし、光を愛せば、「悪事の原因」となるものを取り除き、然る後にキリストは心に住む自分の王国を築くために天国に戻り給うというものであった。フォックスは自身の内の悪事を滅ぼす光をキリストの十字架即ち神の力と呼んだ。 後にキリスト友会の弁証学者ロバート・バークレーは、「この時授かったこの最も確実な教義即ち福音書式に言えば「光」でありあらゆる人の恩寵、人類に対する神の愛と慈悲の普遍性は、御子であり神であるイエス・キリストの死においても、心の「光」の兆候において、神を否定するようなあらゆる反対意見に対して齎され確認されたものである」と書いている。この引用が示すように、バークレーとフォックスの考えは、共に単に目の前の神に関する知識ではなく悪事からの救済と神の受納を導く恩寵と慈悲に結びついている。
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