執筆と人気
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昭和30年代の週刊誌ブームの先駆けとして、1956年に『週刊新潮』が創刊され、創刊号からは谷崎潤一郎「鴨東綺譚」、大佛次郎「おかしな奴」、五味康祐「柳生武芸帳」の3本が連載された。しかし『鴨東綺譚』はモデルの女性から抗議されたことで連載中止となり、代わりにこの年の芥川賞を受賞していた石原慎太郎「月蝕」を掲載した。続いて編集長の斎藤十一は柴田錬三郎を訪れ、柴田が過去に大衆小説評で「こんなものが大衆小説なら、いつでも束にして書いてみせる」と述べていたことに触れて時代小説の連載を依頼し、さらに1回ずつの読切で20話で主人公は腕の立つ剣客という注文をつけた。柴田は1951年に直木賞を受賞したのちは、1954年に初の長編時代小説「江戸群盗伝」連載、1956年に塚原卜伝の修行時代を題材にした「一の太刀」などを執筆しており、『週刊新潮』1956年5月8日号に『眠狂四郎無頼控』の第一話「雛の首」を掲載した。この眠狂四郎は中里介山『大菩薩峠』の主人公机竜之助を念頭に考案した、混血の出生やニヒリストの自虐を持つ人物像だったが、読者からの手紙が殺到し、編集部から20回でなく当面書き続けて欲しいと要望され、1958年5月まで百話が連載、1959年1-7月に続三十話が連載された。 柴田は執筆に際して、これまでの時代小説の主人公が「求道精神主義者か、しからずんば正義派であった」ことの逆を取ろうとし、陰惨な生誕をもつニヒリストで、「眠狂四郎が、剣を修行したのも、剣を抜くのも、従来の求道精神的図式の埒外」「近代人の所有する自虐精神から生まれたもの」としている。「眠狂四郎」の人気の理由について遠藤周作は、従来の大衆小説の要素に加えて、スピード感と、ドンデン返しのある刺激的な構成、サディズムとマゾヒズムの加味されたエロティシズムを挙げ、「虚無も孤独も悉く運命感と宿命感とを背負わされている」ことの魅力だと述べている。 箱根の塔ノ沢にある、柴田錬三郎が眠狂四郎を執筆した旅館には「眠狂四郎御定宿」という木札が掲げられている。
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