埋葬施設および副葬品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 20:22 UTC 版)
「大和天神山古墳」の記事における「埋葬施設および副葬品」の解説
後円部のほぼ中央に長さ6.1mの竪穴式石室が検出された。石室の中央部には、長さ2.6mの板材が残存しており、その中央は仕切り板で区切ってあり、内法1×0.5mの木櫃状になっている。石室は自然石の小口積みで形成され、上部は石室の両側から持ち送る合掌式で、天井石を設けない型式の竪穴式石室である。 石室の内部には、一見木棺のようであるが細部を検討すると木櫃(もくひつ)とした方がよい大きな木製容器が置かれて、総重量約41キロの水銀朱が納められていた。朱を大量に入手し使用している点で、3キロの朱を使用していた岡山県倉敷市の楯築古墳があり、東瀬戸内海との関連が考えられる。 この木櫃の底板は、長さ2.6メートル、幅75センチであるが、断面は緩やかなU字形を呈している。しかし、巨木を刳り抜いたものではなく、縦に長い三枚の板を合わせたものである。従って内部の底面は水平でなく、両端がカーブしてあがっている。 木櫃のなかに水銀朱を取り囲むように20面の銅鏡が置かれていた。20面の銅鏡は木櫃の四周に連続して長方形の辺に置かれていて、前期古墳にしばしば見られるように一面だけ中央に置いてあるという配列とは全く異なる。これには「邪から被葬者を守ろうとした」との理解があるようだが、もとより被葬者が存在しない場合においては妥当とはいえないだろう。古墳社会では階層化が進み、青銅鏡が社会的・政治的に重要なものであり、製作数が飛躍的に増大する。また、木口板(こぐちいた)の外部にも北方で2面、南方で1面置かれていて、計23面の銅鏡が検出されている。 鏡種別に見ると、「尚方作竟」銘鏡4面を含む方格規矩鏡が6面、「長宜子孫」銘鏡を含む内行花文鏡4面、画文帯神獣鏡4面、獣形鏡4面、画像鏡2面の合計20面が木櫃内に収められ、人物鳥獣文鏡1面と斜縁変形神獣鏡2面の計3面は木櫃外から発掘された模様である。 武器は、鉄製で、刀が3点、剣が4点、鉄鏃が5点出土している。刀は一般的な片刃でなく、切っ先から20センチまで両刃になった特異なものである。剣では木製の柄装具に直弧文を施している。これらの剣の一部が絹布に巻かれていた。鉄鏃は、柳葉形で、木製矢柄が一部残っていた。。 前方部から二重口縁壺(布留Ⅰ式)から出土している。
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