埋葬施設・出土品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/17 05:57 UTC 版)
北側の遺構の敷き詰めた石を取り除くと下から2メートル×0.5メートル、深さ1メートルほどの隅丸方形の墓壙が掘られていた。墓壙内から腐食した人骨、底から翡翠の小玉、黒曜石製石鏃、チャート製の石匙(せきひ、いしさじ)、朱漆片が出土した。南側の方形土塁の内側には、隅丸方形状に平たい石を敷き詰め、その下に1メートル×2メートルの墓壙が掘られていた。11号では翡翠小玉23、有柄石鏃12個が並べられた状態で出土した。石鏃のそばには朱漆の弓が樹皮様の紐を巻き付けて置かれていた。12号では翡翠小玉9、朱漆片、13号では翡翠小玉6、黒曜石石鏃1が出土している。
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埋葬施設・出土品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/17 03:02 UTC 版)
1969年(昭和44年)には、人骨や須恵器など発見され、翌年には、人骨は13体であり、合葬または追葬されており、火葬墓などを含む岩陰墓であることが分かった。埋葬施設は5世紀の終わり頃から6世紀後半までの竪穴式石室を模した石室であり、8基つくられていた。第1号石室は岩陰のほぼ中央部に造られ、長辺の長さ約2.16メートル、幅約70センチメートル、高さ約50センチメートルで、石材は、紀ノ川流域で採掘された緑泥結晶片岩と砂岩質の石と板石とが使われ、天井石は4枚である。内部には男性人骨と幼児人骨が埋葬されていた。 副葬品の中に優れた鹿角製装具鉄剣が二振り分、同釣針、同銛、同鳴鏑(なりかぶら)などがあった。
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