埋納遺物
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1986年(昭和61年)の天守再建に伴う送電線敷設工事時に偶然検出された埋納遺物で、現在の天守台の南、本丸中央部で出土した。この地点は絵図によると、本丸御殿が建っていたところで、検出層位から江戸時代以前の福知山城整地前に埋納された。出土物は以下の5件。 丹波壺 - 口径16.6 cm、高さ41.6 cm。茶褐色で一部緑色の自然釉が薄くかかっている。この壺の中に他の出土遺物が入っていた。 銅鏡 - 直径は9.43 cm、紐は亀形で、縁は垂直に立ちあがっている。一対の鳥と菊花をモチーフとした双雀菊花文鏡である。 竹筆 - 19本出土した。径0.7-0.9 cm、長さは15-23cmで使用の痕跡は確認できない。 小刀 - 錆びついており、詳細は不明。現存部分の長さ19.3 cm、刃部分の幅は2.6 cm。 銅銭 - 総数は約936枚。原型をとどめていない個体もあり、2-3枚程度の誤差を考慮する必要がある。銭種は40種類で、ばらばらに納められていた。鋳造年次の最も新しい銭は朝鮮通宝2枚である。 壺の内部には内底中央部に鏡面を上にして銅鏡1面が置かれ、竹筆19本と小刀1本が立てかけられ、最後に銅銭が納められていた。壺の内部に水が15cm程度溜まっていたが、竹筆は良好な状態で残っていた。『福知山城の歴史』は「遺物の組成、埋納状況からみても、いわゆる備蓄銭ではなく、何らかの祭祀的な色彩を強く感じるものであり、変形しているものの、地鎮、経塚、祈願などの目的で埋納された」と解説している。
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