埋納経石について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:33 UTC 版)
多宝塔の下には石室(東西210cm、南北164cm)があり、この中に『法華経』の「題目」が書写された15万個を超える経石が埋納されている。この経石の埋納は、徳川家康の三十三回忌である1648年6月8日(慶安元年4月17日) を期に、家康の側室で徳川頼宣の生母である養珠院が、衆生の慰霊救済と天下静謐を祈って発願したものである。この浄業には、後水尾上皇から民衆に至るまで、また僧俗を問わず多くの人々が参加するところとなり、経石の題目数の合計が250万返に達したことをもって、1649年(慶安2年)浄業は成就している。 経石が埋納された場所には、経石埋納供養の由来が刻まれた題目碑が造立され、1655年(明暦元年)には養珠院の菩提を弔うため多宝塔が建造されている。この経石埋納事業は、上皇から庶民にいたるまで貴賎の上下なく大勢の人々が参画したものであるが、江戸時代初期にあって階級を超えて多くの人々が参画したこのような法事は、我が国の歴史の中でかつてなかったことであり、題目碑にも、このことは「叡慮映石典是前代未聞奇異耳」と記されている。
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