地理学と地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:29 UTC 版)
コルキス王国は、紀元前6世紀から紀元前1世紀にかけて存在した、最初のグルジア国家のことを指す。 しかしそれ以前の紀元前13世紀に、もう1つのグルジア民族の統一が黒海沿岸において成され、それを行ったのが西グルジアのコルキス王国だった。古代ギリシア・ローマの多くの著作家たちによると、その地域の境界は次のようになる。北はカフカース山脈で、山脈の向こうにはサルマタイがいた。東はイベリア王国とMontes Moschici(現在の小カフカース山脈)。南はアルメニア。南西部はポントス王国。西は黒海の、Corax川(おそらく現在のグルジア、アブハジアのBzybi川)からそう遠くないところ。著者たちにいくらかの差異があるのは、東の境界である。それゆえにストラボンはトラブゾンでコルキスが興ったとし、また、プトレマイオスは反対にポントス王国をリオニ川まで伸ばし、ピツンダ(en:Pitsunda)をコルキスの最北端の町とした。 コルキスの主要な川はファシス川(現リオニ川)で、何人かの学者はこの川が南の国境線であるとしているが、多くの学者たちは、ファシス川はカフカースから黒海に、コルキスの中央部を南西に貫いて流れていたのではないかと言っている。他にはAnticites(Atticitus)川(現クバン川)があった。アッリアノスは他にも多くの川を挙げているが、それらは山の急流よりも小さい川だったようである。それでも重要なものを挙げておくと、Charieis, Chobus or Cobus, Singames, Tarsuras, Hippus, Astelephus, Chrysorrhoasで、そのうちのいくつかはプトレマイオスや大プリニウスも言及している。 主な町には、ディオスクリア(現スフミ。ローマ帝国にはセバストポリスと呼ばれた)が黒海沿岸にあり、他に、Sarapana(現en:Shorapani)、ファシス(現ポティ、ピテュス(現ピツンダ)、アプサロス(現ゴニオ)、スリウム(現スラミ)、アルカイオポリス(現en:Nokalakevi)、Macheiresis、そして伝説上のメデイアの生地Cyta(あるいはCutatisium。現クタイシ)がある。メデイアの生地については、カリュアンダのスキュラクス(en:Scylax of Caryanda)は、他の著作家とは矛盾するが、Mala(Male)だと述べている。 「コルキス」という名前を最初に著したのは、アイスキュロスとピンダロスである。その前の作家たちは神話の王アイエーテースの住む場所をAea(Aia)と言っているだけだった。 コルヒダという表記も、特にギリシャ神話関連では用いられる。
※この「地理学と地名」の解説は、「コルキス」の解説の一部です。
「地理学と地名」を含む「コルキス」の記事については、「コルキス」の概要を参照ください。
- 地理学と地名のページへのリンク