地理学との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 00:36 UTC 版)
カルーゼル凱旋門は、いわゆる「パリの歴史軸」の東端にある。パリの歴史軸は長さ9キロメートルの線で、パリの街の北西4分の1円のほとんどを占めている。いわば右岸の背骨である。 西に目を向けると、凱旋門はコンコルド広場のオベリスク、シャンゼリゼ大通りの中央線、エトワール広場のエトワール凱旋門、またカルーゼル広場から直接は見通せないが、ラ・デファンスの新凱旋門グランダルシュを真正面にとらえている。 このように、「パリの歴史軸」は凱旋門に始まり凱旋門で終わっている。しかしカルーゼル凱旋門が建設された当時は、カルーゼル広場からは西方がなにも見通せなかった。テュイルリー宮殿の中央の一角が、西への視線を遮っていた。テュイルリー宮殿が1871年のパリ・コミューンの際に焼き払われ、その残骸が撤去されて初めて、現代にも残る「大きな歴史軸」がカルーゼル宮殿やルーヴル宮殿にまで開かれた。
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