地球の可動性と力学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:58 UTC 版)
「ニコラウス・コペルニクス」の記事における「地球の可動性と力学」の解説
プトレマイオスは地球の運動の可能性について、『アルマゲスト』第I巻7で検討している。まず場所を変える運動はないとした後、「これらの議論に反対しない人々の中にも、天が静止して地球が、または天と地球の両方が、ほぼ24時間周期で回転すると考えても差し支えないとする人々がいる」とし、「その仮説は天の現象の説明に支障を来さない」としながらも、「地上と大気で起こることを考えると、滑稽である」とする。すなわち、地球が動くとすると「24時間で地球の円を突破する運動は非常に猛烈である」ので、その影響が感じられないはずはなく、「地球上に支えられない物体は、常に地球と反対の運動をするように見えるだろう」「雲や投げられた物体、飛ぶ物体は東へ行くことはないだろう。何となれば地球はこの方向では常に他を追い越すから」、すなわち天体の日周運動を説明するほどの猛烈な速度で地球が自転するなら、上空のものは全て後方に取り残されてしまうはずだと述べた。つまりプトレマイオスも、地球の自転による日周運動の説明は検討し、地上の物体への影響から「滑稽」であるとしている。コペルニクスの説が天体のみかけの運動の説明を根拠とするなら、それはプトレマイオスによって「滑稽である」と指摘されているのである。 プトレマイオス以降も、地球の運動の可能性をとしてとりあげ、(論理的な厳密さのために)一応の検討をすることは少なからずあった。例えばあるアリストテレス『天体論』への注釈では、猛烈な地球の回転は地球や地上のものを破壊するであろうとしている。 コペルニクスは後者の議論に対して「もし誰かが地球は動くと考えるならば、その運動は自然的なものであって、無理なものではないと言うだろう。自然にかなったものは無理にされるものとは異なった作用を生じる。力あるいは無理が働いている物体は必ず破壊され、長く続けることはできないが、自然の働きを受けるものは、ふさわしい仕方で受けるのであり、より位置に留まることができる。そこでプトレマイオスは人工から生するものとは非常に異なっている自然の働きで生ずる回転によって、地球や地上のものが破壊されることを心配する必要はなかった。」と反論した。ただし、この反論も慣性の法則に基づいた近代的な議論ではなく、「自然な運動と強制的な運動の区別」に依存しており、プトレマイオスらと同様、アリストテレス的な自然学の枠内にとどまっている。また、自らの運動論を実験などで合理化したわけではない。
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