地域間の差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:16 UTC 版)
距離1000キロメートル余りにおよぶ多数の離島諸島である南西諸島においては、気候風土的にも、地域的な状況の差異があった。 沖縄本島等と異なり奄美大島等をはじめとする奄美群島の島々では、薩摩藩支配時代からの歴史的事情や、維新後の近代も黒糖の売買権を本土鹿児島の商人が独占している状況下にあり、また元来産業に乏しく、また1921年の普通町村制施行まで「奄美独立経済」として長らく鹿児島県行財政から分離され続けていた。不況到来以前からサトウキビ栽培のモノカルチャー化がより進行し、貧困からソテツを食糧として救荒することが常態化しており、種子(ナリ)を加工して蘇鉄味噌(ナリ味噌)を製造することも盛んであった。そのため、奄美においても状況はひどかったが、一方で「ソテツ地獄」と形容される状況は一般的ではなかったといわれる。 また、南西諸島でも北部の大隅諸島に属する種子島では、土壌的条件に恵まれ、古くから灌漑用水整備など本土の農業技術の導入もあり、稲麦作を含む多様な農業が活発であり「ソテツ地獄」と形容されるほどの著しい窮乏には至らなかった。 サトウキビ栽培に関しても島ごとに事情が異なる場合もあり、例えば先島諸島では、自給食糧生産が逼迫するという理由のため、サトウキビ栽培が明治時代に入るまで禁令とされていた。
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