在外公館勤務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 03:20 UTC 版)
「加瀬俊一 (1925年入省)」の記事における「在外公館勤務」の解説
ヴァイマル共和政末期に在ドイツ日本大使館に勤務し、ヒンデンブルク大統領にも謁見、英語のみならずドイツ語も身に付け、この機会にベルリンの所謂ヴァイマル文化に触れて文学・音楽の造詣を深め、芸術家と親交を結んでいる。 また、1933年(昭和8年)の国際連盟脱退時には松岡洋右全権に随行したほか、1935年(昭和10年)にロンドン海軍軍縮会議へ参加した。 1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)までは在英国日本国大使館に一等書記官として在勤し、首相就任前のウィンストン・チャーチルやロイド・ジョージと親交を持った。また、その後の松岡洋右外務大臣秘書官兼政務第6課長(北米担当)時代の1941年(昭和16年)4月には、ソビエト連邦のモスクワで行われた日ソ中立条約の締結時に随行し、ヨシフ・スターリンやヴャチェスラフ・モロトフとの交渉にも列席している。 高い英語力を持ち、名文家としても知られた。1941年12月の太平洋戦争の開戦は、東郷茂徳外務大臣の秘書官兼政務局6課(北米担当)課長として日米交渉を担当した後に迎えることになる。
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