国際柔道連盟理事就任〜落選および復帰
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「山下泰裕」の記事における「国際柔道連盟理事就任〜落選および復帰」の解説
シドニーオリンピックでの篠原信一の銀メダル誤審問題により、国際試合での判定を厳密に審査する点においてシステムを見直す必要を感じ、2003年国際柔道連盟総会(大阪)教育・コーチング理事に立候補し、対立候補が無く当選。就任して改革に務めた。 2007年9月、国際柔道連盟総会(リオデジャネイロ)で国際柔道連盟の教育・コーチング理事に再度立候補するも、アルジェリアのモハメド・メリジャに61対123で落選。事前の予想では既に山下が不利であることが知られており、山下自身も「情勢は大変厳しく、皆は勝ち馬に乗るだろう」と選挙2日前に述べていた。マリウス・ビゼールはメリジャを支持したため、この選挙は「ビゼール対山下」の戦いと言われた。山下が落選したため日本は初めて議決権を持つポストを失った。 2015年8月21日にIJFは世界選手権が開催されるカザフスタンのアスタナで総会を開き、講道館館長の上村春樹とともに山下をIJF会長であるビゼールが指名する議決権を伴わない理事に登用することを決定した。任期は2年となる。両者を指名理事に加えたビゼールは、「柔道界のレジェンドだ。柔道の発展のため、日本の存在は重要。20年東京五輪で柔道の団体戦が新種目として採用されるチャンスがある。(国際オリンピック委員会などへの)ロビー活動において全柔連と講道館の力は不可欠だ」とコメントした。両者は理事会において教育や普及の分野を担当することになるという。山下は2007年以来の理事復帰となった。2013年に日本からの理事が不在となったことで、日本の発言権や情報収集力など国際柔道界での影響力の低下を招いていたところだった。理事復帰に関して山下は、「責任の重さを感じる。理事会に入れば集まってくる情報量が格段に違う。他のIJF理事とのネットワークを使って、何ができるかを考えたい。柔道を通じて日本文化を伝えたい」と語った。
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