国鉄の経営破綻と分割民営化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
「日本の鉄道史」の記事における「国鉄の経営破綻と分割民営化」の解説
戦後、国内の輸送体制の根幹とされ、公共企業体と位置づけられた国鉄は、国家財政とは別の独立採算制であったにもかかわらず、運賃改訂や設備投資について国会審議を必要とする不自由な体制であった。 このシステムは戦後復興期にはスムーズに動いた。すなわち復興のための設備投資の必要性やその順番は明らかであり、低く抑えられた運賃も増え続ける需要によって充分賄われた。しかし戦後復興が終了した時期から、国鉄の財政は悪化しはじめた。まず東海道新幹線が開通した1964年に、それまでずっと黒字であった国鉄の収支が単年度ながら赤字を計上した。その後も赤字は続き、1967年には蓄積した黒字を食い潰して繰り越し赤字に転落した。国鉄は財政再建を目指し、1969年に第一次再建計画を策定したが赤字の拡大は止まらず、1971年には通常の企業活動に必要な支出だけで収入金額を超えてしまい「借金を返済できない事態(償却前赤字)」に陥った。 1971年から1972年にかけて、国鉄の現場では赤字改善のための生産性改善運動(通称:マル生運動)が行われた。これは経営危機に陥った民間企業であれば、当然実施すべき改善運動であるが、経営側の運営のまずさからマスコミに「不当労働行為」と指摘され、生産性の改善効果を生まずに終わってしまった。この問題はその後も長く労使間の大きなしこりとなって残った。その後種々の対策が検討されたが解決には程遠く、国鉄の赤字は増え続けた。抜本的対策として1980年頃から国鉄分割民営化案が検討され、1987年に国鉄は分割されたうえで民営化された。
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