回想録作家としてとは? わかりやすく解説

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回想録作家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 03:02 UTC 版)

クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス」の記事における「回想録作家として」の解説

カトゥルス執政官時代回顧録執政官とその功績De consulatu et de rebus gestis suis)』を書いているが、これはクセノポンのような柔軟な文体書いたもので、友人詩人のアウルス・フリウスに捧げられた。カトゥルスマルクス・アエミリウス・スカウルスプブリウス・ルティリウス・ルフスと並ぶ、初期回想録作家一人であり、クセノポン著述方法参考にしている。 カトゥルス回想録現存しないが、プルタルコス引用しているために、その内容を知ることができる。対比列伝マリウス伝には、マリウスカトゥルスの軍を(防御戦闘中心となる中央に、自分の軍を(より攻撃的になる)側面置いてキンブリ族対す勝利栄光独り占めしようとしたと、カトゥルスマリウス非難したと書かれているまた、ゲルマン人との決戦では、キンブリ族暑さに耐えられず、大量の汗をかき、呼吸苦しく、顔の前で盾を持つことを余儀なくされたが、ローマ兵は平気であった主張している。これはおそらくカトゥルスの軍の構成と、カトゥルス野営地に敵の「鎧、軍章、等が持ち込まれ」、キンブリ族倒したのは自分たちであるとの主張基づいていると思われるスッラウェルケラエの戦い勝利大きく貢献したのは明らかだが(ある研究者は、カトゥルス自分の家飾った戦利品には、「スッラからの贈り物と言うべきものと書いている)、カトゥルスはそれには触れていない。このような記載内容から、この回想録は非常に偏ったものであった結論づけられている。その目的は、キンブリ・テウトニ戦争主な功労者自分自身とし、マリウス策略非難することであった現代の歴史学者は、この回想録を「妬み悪意濃く混じった将軍自画自賛の例」と呼んでいる。 おそらく、カトゥルス回想録は、スッラ回想録作成する際に参考にされたであろう。すでに紀元前46年時点で、カトゥルス回想録はスカウルスのそれと同じ運命辿っていた:すなわち誰も読まなくなっていたのだ。プルタルコスは「カトゥルス自身話したと言われている」、あるいは「カトゥルス自身書いたと言われている」 と、伝聞系で書いていることから、彼自身回顧録直接読んでいたわけではないのだろう。 また、カトゥルスは『共有する歴史(Communes historiae)』という作品書いたとされるが、現存する3つの断片から判断して神話に関するものであったようだ。

※この「回想録作家として」の解説は、「クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス」の解説の一部です。
「回想録作家として」を含む「クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス」の記事については、「クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス」の概要を参照ください。

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