回天特別攻撃隊金剛隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
この菊水隊の泊地攻撃で、アメリカ軍の泊地の警戒が厳重になった。生還した伊三六と伊四七の報告を元に研究会が開かれ、潜水艦3隻の喪失と米軍の対抗策を予想して泊地攻撃への懸念が表明されたが、上層部は聞き入れなかった。当山全信海軍少佐(伊四八艦長)の抗議に、艦隊司令部は「精神力で勝て」と命令している。第二次玄作戦は、回天特別攻撃隊金剛隊と命名された。参加潜水艦は6隻(伊36、伊47、伊48、伊53、伊56、伊58)。12月19日、連合艦隊は電令作第448号をもって第二次玄作戦開始を命じる。 12月21日に伊56(目標地点アドミラルチー諸島ゼアドラ―港)、12月25日に伊47(フンボルト湾)、12月30日に伊36(ウルシー)と伊53(コッソル水道)と伊58(グアム島アプラ港)、翌年1月9日に伊48(ウルシー)が、それぞれ内海西部を出撃した。伊56は警戒厳重のため攻撃機会がなく、伊47は1月12日に四基発進(判定:大型輸送船4隻轟沈)、伊53は同日三基発進(大型輸送船2隻轟沈)、伊58は四基発進(特設空母1、大型輸送船3隻轟沈)、伊36は四基発進(有力艦4隻轟沈)、伊48は未帰還(油槽船1隻・巡洋艦1隻・大型輸送船2隻轟沈)となった。総合戦果判定は特空母1、大型輸送船9、油槽船1、巡洋艦1、有力艦6、合計18隻轟撃沈というものだったが、戦後調査によれば該当する記録はない(戦後確認された戦果は“戦果”の項目の表の通り)。金剛隊の回天作戦は、泊地攻撃の困難さを改めて浮き彫りにした。 金剛隊編成 部隊名潜水艦名出撃日作戦海域搭載回天-発進状況金剛隊 伊56潜 1944.12.21 アドミラルティ泊地 4基-0基 金剛隊 伊47潜 1944.12.25 ホーランディア・フンボルト湾 4基-4基 金剛隊 伊36潜 1944.12.30 ウルシー南泊地 4基-3基 金剛隊 伊53潜 1944.12.30 パラオ・コッソル水道 4基-4基 金剛隊 伊58潜 1944.12.30 グアム・アプラ港 4基-4基 金剛隊 伊48潜 1945.1.9 ウルシー南泊地 4基-4基 1.23沈没
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