回天金剛隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 16:30 UTC 版)
引き続き回天の第二次攻撃実施が決定し、寺本は事前整備に全力を傾けている。回天搭乗員は加賀谷武大尉、都所静世中尉、本井文哉少尉、福本百合満上等兵曹の4名、攻撃予定日は1945年(昭和20年)1月11日、攻撃目標は前回と同じである。12月30日、大津島を出撃し翌月9日、ウルシー環礁に到達した。しかし午後1時ごろに座礁し、その離礁作業中に海上まで浮上し、20秒ほど存在を暴露するというアクシデントもあった。この日「彩雲」の偵察飛行によって戦艦3隻ほかの在泊が確認され、攻撃は1日繰り延べされた。1月12日、回天4隻は「伊36」を出撃し、爆発音4が確認された。作戦後に発表された「伊36」を発進した回天の戦果は「有力艦船4隻轟沈」であり、合計5艦の潜水艦から発進した回天の戦果を総合し「計18隻轟撃沈」の戦果が認定された。しかし戦後の調査では回天金剛隊の戦果は確認されていない。回天の戦果については米海軍少将の著作に弾薬運搬艦「マザヤ」が損傷を受けた旨が記述されており、回天主務参謀鳥巣建之助は、「伊36」から発進した回天の戦果としている。
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